日本で最も軽かった殺人罪の懲役刑
矢板実父殺人事件
A子は中学生の頃から実の父親に性的暴行を受け5度の出産と5度の流産をし更に避妊手術を受けさせられた。
子供を連れ逃げようとしても追いかけてきては同居する父親。ある日、同居解消の説得の際に「お前が出ていくなら子供は俺が全員殺す」と言われカッとなりA子は父親を絞め殺しそのまま自首
懲役2年6ヶ月
以下、2chの反応
これ尊属殺違憲判決の事件か
※尊属殺とは、祖父母・両親・おじ・おばなど親等上、父母と同列以上にある血族(尊属)を殺害すること。
むしろ長い 1日でええわ
こんなん無罪ですわ
こんなん無罪でええわ
無罪がダメならせめて執行猶予つけろや
>>8
ついたで
執行猶予ついとるでこれ
執行猶予3年やぞ
罪があるとしたらもっと早く殺さなかった事くらい
苦肉の策での2年なんやろ
これで色々変わったやつちゃうのこれ
なんとか執行猶予つけたくて下げに下げて 違憲判決まで出したんやっけ
専属殺人がなくなった事件やな
そこそこ有能裁判官やん
これ時代的にいつだっけ? 戦前?
>>72
戦後
50年くらい前
>>75
戦後20年ぐらいでもこういうのがまかり通ってたのってすごいな
尊属殺は一回合憲とされたことがあるんだよな
実際尊属殺人罪って普通の殺人罪と比べてどんくらい罪重くなるんや
>>119
>無期懲役または死刑のみと、刑罰の下限が高く、より重いものになっていた。
一番軽くても無期懲役で有期刑なし
実父を絞め殺す力がある娘ってのも凄い
>>127
無抵抗だったらしい 殺すなら殺せと
>>141
えぇ…
親父も親父で闇が深いんやな
尊属殺人罪は20年前まで存在してた適用される事は無かったが 一部の保守派は復活を目論んでいるがさすがに無理だろうな
子供まともに成長出来たのか気になる
京都認知症母殺人事件 でぐぐれ
>>17
裁判官のワイも号泣ですわ
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。
片桐被告が「すまんな」と謝ると、母は「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は 「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
こんなんでも罪悪感抱かなアカンから困る
その近親相姦でできた子供って今も独立して暮らしてるんかね?
余裕で生きてる年齢だろうけど
10回も妊娠するってすげー
娘が不憫過ぎる
昭和2年(1927).7.12〔4歳(満2~3歳)が妹殺害〕
大阪府大阪市の自宅で、長男(4)が次女(3)を縄で絞殺した。長女(7)と3人で映画のマネをしていたもの。
昭和7年(1932).9.25〔6歳(満4~5歳)が友人の目を突き刺して重態〕
東京市本所区で、男子(6)が友人(6)の顔や全身をおもちゃの刀で滅多打ちにして、目を刺して意識不明の重態とした。チャンバラごっこをしているうちにケンカになったもの。
昭和13年(1938).5.13〔6歳女子(満4~5歳)が隣家の幼女殺害〕
秋田県南秋田郡で、女子(6)が隣家に遊びに行って、嬰詰(東北のゆりかご)に寝かされていた女の子(2)の顔を棍棒で滅多打ちにした。家人が帰宅して手当てをしたが、5.20に死亡。
>>179
戦前闇深すぎやろ
>>179
自我芽生えとらん12歳以下の刑事事件は基本無罪放免や
>>179
一つ目は事故っぽいけど他二つは殺意に満ちてて震えるわ
>>179
一番下だけ異質やな
映画のマネや遊びから喧嘩は子供ならよくあるけども 棍棒で滅多打ちてなぁ
>>179
下にいくに連れ闇が深くなってますね…
昭和26年(1951).12.12〔5歳が友人を猟銃で射殺〕
長野県東筑摩郡の農家の庭で、4男(5)が友達(3)の胸を猟銃で撃ち抜いて殺害した。散弾を装填したままにしておいた父親が過失致死で取り調べ。
昭和27年(1952).6.2〔2歳が赤ちゃん殺害〕
埼玉県浦和市の会社員宅で、長男(2)が次男(生後45日)の顔に消毒用クレゾール原液を掛けて、急性肝臓炎で死亡させた。母親がいつも赤ちゃんのこめかみに香水をつけているのをマネたもの。
>>186
これは生まれながらの殺人鬼ですわ
>>186
オトンかわいそう
昭和32年(1957).5.22〔5歳児と6歳児が殺人〕
鹿児島県加世田市で、男子2人(5,6)が近所の民家に侵入して、寝かされていた女の子(生後8ヶ月)を縁側まで引きずり出して庭に落とし、荒縄で縛って40メートルほど引きずって溝に落とし殺害、5.24に補導された。
昭和45年(1970).4.4〔3歳の長女が弟殺す〕
東京都板橋区の自宅で、長女(3)と近所の女の子(6)が「赤ちゃん遊び」のために長男(生後2ヶ月)を裸にして台所の流し台の洗面器に入れた。
母親が帰宅したとき水の中でぐったりしている長男を見つけて病院に運んだが死亡した。すでに近所の女の子は家に帰り、長女1人で留守番していた。母親が風呂に入れるのをマネたらしい。
>>204
上の事件怖すぎぃ!
こういう闇を見て見ぬふりして昭和はよかったとか美しい国日本とか笑わせてくれるわ
>>208
戦前やけど農村で餓死に身売りとか平然とあったからな こんなんに戻すとかカルトですわ
昭和3年(1928).6.20〔小4(満10~11歳)が弟毒殺〕
石川県金沢市の自宅で、小学4年生(12)が療養中の3年生の弟(10)の水薬にネコイラズを入れて飲ませて毒殺した。
父親は海軍主計少佐で、両親が病弱な弟ばかりを可愛がるので弟を亡き者にすれば自分が可愛がられるだろうと考えたもの。「ただ面白半分にやった」とも話す。
“昭和3年(1928).6.23〔小1(満6歳)ら2人が幼女に硫酸あびせる〕
東京市深川区鶴歩町で、小学1年生(7,8)2人が女の子(5)を材木倉庫に連れ込み、
1人が押さえつけて、1人が消火用にビールビンに入れて倉庫に積んでいた硫酸を身体にかけて自宅に逃走した。
泣き叫ぶ声を聞いて近所の人が病院に運んだが4週間の重傷。 これまでもこの女の子に何度か暴力を振るっていたが、親同士の間に人が入って示談となっていた。
昭和事件史ってなんでこんなに怖いんだろう
白黒で脳内再生されるからかな
あまりに闇が深いな
>>270
昭和40年代に急速に平和になってったんやな
>>270
200人にひとりとか怖すぎ 学年に一人は犯罪者か
このスレ闇が深すぎんよ
この2chスレまとめへの反応
実は現在の日本は殺人が激減しているんやで
昭和30年代とかとにかくエグいねんから
5回出産したってことは子供は父親の子だよな。
犯されて出来た子供でも愛せるんだな。