加藤茶さんとザ・ドリフターズ
加藤 茶(かとう ちゃ、1943年3月1日 – )は、日本のドラマー・歌手・コメディアン・俳優であり、ザ・ドリフターズの一員である。本名は加藤 英文(かとう ひでゆき)。
トロンボーン奏者を目指してスターダスターズのバンドボーイをやるが、ある日手当ての100円をマネージャーに催促したところ、マネージャーに100円を投げつけられ、頭に来てマネージャーと喧嘩してクビになる。
その後、先輩から捨てておいてと頼まれたドラムスティックを使い練習、ドラマーとしてクレージーウエストにメンバー入りし、仲本コージ(現・仲本工事)と出会う。 1962年、碇矢長一(後のいかりや長介)と同時期に、「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」にメンバー入りした。
ザ・ドリフターズ(The Drifters)
日本の音楽バンドおよびコントグループである。1969年頃までバンドを主活動とし、それ以降は主としてコントグループとして活動した。
1970年代から1980年代中頃を全盛期に、TBS系の『8時だョ!全員集合』やフジテレビ系の『ドリフ大爆笑』などのテレビ番組で活動した。現在は、グループで活動することはほとんどない。 /wikiより
ザ ドリフターズ 8時だヨ! 全員集合
ドリフ 学校
<加藤茶>営業だけで年間14億円 ザ・ドリフターズ全盛期語る
ザ・ドリフターズの加藤茶さんが、5日放送のバラエティー番組「ダウンタウンDX」(読売テレビ・日本テレビ系)に出演する。
最高視聴率50.5%を記録したザ・ドリフターズの国民的バラエティー番組「8時だョ!全員集合」などを放送していた全盛期に「あの忙しい時期に年間で70~80本ぐらい営業していたの」といい、約2時間ぐらいの営業1本あたりのギャラが「1800万円だった」と明かしたうえ、年間で14億円も稼いでいたと語る。
収録では、ダウンタウンの松本人志さんが「(あの当時)営業だけじゃなくて、テレビの出演やCMもやってたんですよね……」と絶句。
さらに加藤さんは「ギャラは5等分じゃなくて、ほとんど長さん(いかりや長介)が持っていったの」と話すと、浜田雅功さんは「長さんが高級車乗っているのに腹が立った茶さんと志村(けん)さんが、(車に)小便かけたんやって」と聞いてきたエピソードを披露した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151104-00000019-mantan-ent
以下、2chの反応
そりゃ~長者番付常連だものカトちゃん
綾菜「昔の話しかよ」
ドリフ埋蔵金
いかりや独占かよww
長さんが7億
いかりやは搾取した金何に使ってたんだろうなw
>>10
土地購入。
自宅周辺を次々買い取り、マンションが建つような資産価値の高い、広い整形の敷地にした。
>>10
車とか買ってたらしい
>>10
日本の児童施設とアフリカにも莫大な寄付してた
ドリフターズって仲悪かったの??
てか加藤茶ってドラマーとしての腕前はどうなんだろう。 高木ブーとかギタリストや歌手としても一流だというけど。
http://youtu.be/Y_C7cBQqaU8
http://youtu.be/xCedWglBSyQ
70年代の14億ってとてつもねえな
ド田舎なウチの市民会館にも営業に来てたが1800万は話を盛ってる気がする 落ち目になってからのピンクレディが来た事もあったけどあの時はちょっと悲しかった
>>15
ピンクレディって落ち目の時期があったんだ。 キャンディーズみたいに惜しまれて解散したのかと思った。 知らなかったよ。ありがとな、ジジイ。
いかりや長介はすぐ怒る
加藤茶はスピード狂さ
志村けんは野球賭博で
仲本工事は奥さん死んだ
だけどどこへ行くの
ドリフ地獄へ堕ちてゆくの
>>18
ブーだけいないのは伝説だからか
>>18
ドリフターwww
ギャラ配分が6(いかりや):1:1:1:1だったと聞く。 いかりやはリーダー以外に作家料とかいろいろ込みで それだけ貰っていたんだろうけど、一番人気だった 加トちゃんとかは嫌だっただろうね。
>>19
だからカトケンで独立したんだろうな しかし加藤はいいけど無理言っていかりやに弟子入りした志村はアカンだろと
>>50
志村は他のドリフメンバー全てに恨みがある感じだよ みんなが食べ終わったラーメンの汁を集めてご飯入れて食べてたらしいし たまにそんな話するとき本気でダークな顔つきになってる
加藤だけは少しだけ麺を残してくれてたらしいけど それより1人前取ってやれよって思う…すごい世界だったんだな
>>50
二人でカトケンやったのはTBS側からの要望。 元々、解散後はいかりや外して四人でやる予定だったのが、新番組持ち込んだTBSが二人にした。
>>65
いかりやしかコント台本書けなかったからムカつきながらも従ってた それが志村も面白い台本を書けるようになって分裂した
加藤はいかりやの搾取にうんざりしてたから志村のほうについていった
>>19
>>ギャラ配分が6(いかりや):1:1:1:1だったと聞く。
それはバンド時代だよ
コント時代は、いかりや5で加藤2(引き抜き対策)その他1だよ。
バンドマスターに全額入ってそこからメンバーへ給与として支払われる当時は当たり前だったシステム。 今も残っていてX JAPANも同じシステムだったから切れたベースのTAIJIが脱退した。
そんな金持っててもあの程度なんだよなぁ 金の使い方って大事だね
芸能人は金の使い方が下手 所詮、お笑いしか脳のない連中だから
その金を女に貢ぐカトちゃんぺ
ばばんば ばんばんばん また来世!
ちょっとだけじゃ済まなかった訳か
>>37
天才現る!!
ダメだこりゃ
>>1
ドリフターズって何人いたか知らないけど、仮に五等分なら 1人3億弱か。 2億だとして、それ以外のCM料、テレビ出演料で、プラス3億として 当時5億の収入か?
70年代に大スターだった長嶋や王よりもはるかに稼いでたんだろうな。 80歳近い加藤は、今でも資産50億はあるんだろうな。
>>113
そんなに残してたら年老いてんのにパチンコ営業なんてしないでしょ
>>114
飲む打つ買うだったから金はないだろうな 昔のプライベートの加藤みたらただの輩だよ
70年代のトーク番組で足組んで踏ん反り返ったまま「何?俺のプライベート知りたいの?」 「女は取っ替え引っ替えだよ。」「バカヤローましな事訊けよアホくさ。」 とか不貞腐れた態度で答えてた輩だから今ならネットでフルボッコされてるよ
>>1
また加藤がバラエティー番組だから盛ってるんだよ
ドリフターズの一回あたり1000万円 その内ナベプロに引かれるからな
600万円として300万円をいかりやの取り分 残り300万円を四等分だな 少なく見えるが1970年代だと こんなもんだよ
>>127
物価が違うからな
現地点の1万円は、1970年なら約53500円に相当になるし、1980年なら約17500円になる。
あながち嘘ではない。
島田洋七を可愛がっていた“ミスター赤ヘル”山本浩二とイベントで一緒に出演。1984年大活躍した山本は、王貞治を抜き年俸が球界一となった
(当時の史上最高年俸)。
司会が「王選手を抜いて球界一の8500万円になりましたね!おめでとうございます!」と言ったあと、山本に「漫才師はどれくらいもらうんだ?」と聞かれた。
あやうく「8億です」と言いそうになったが「いや、3000万くらいです」と答えると、「漫才師はもらい過ぎだな」と言われた
この2chスレまとめへの反応
加藤は馬鹿だから事務所の取り分といかりやの分と混合して考えていたんだと思うよ
事務所4いかりや2他1が実情じゃないかな
地方の営業ギャラが1800万円も盛り過ぎ1/10くらいじゃない
凄いですね。