歴史的犯罪者たちが残した見苦しい言い訳 BEST10
第10位
田代まさし 「ミニにタコができる」
2000年、盗撮の容疑がかかったときに言ったセリフ。
同年10月4日に事件が発覚し、テレビリポーターに盗撮した理由を聞かれ「『ミニにタコができる』というタイトルのギャグ映像を作ろうとしていた」と苦しい弁明をしてバッシングされた。
「耳に胼胝(たこ)ができる」という慣用表現とかけたシャレで、この時、事務所から「ギャグにしよう」と言われて考えたら、かえってバッシングを受け裏目に出たと後に語っている。
第9位
川俣軍司 「バカに4人も殺せるか。この辺で人生を終わらせたかったのだ」
深川通り魔殺人事件とは、1981年(昭和56年)6月17日午前11時35分頃、東京都江東区森下二丁目の商店街の路上において発生した無差別殺人事件。
茨城県鹿島郡出身の元トラック運転手で寿司職人の経歴を持つ男(当時29歳)が商店街の路上で、主婦や児童らを包丁で刺し、児童1人と乳児1人を含む4人が死亡、2人が怪我を負った。
男は主婦や児童を刺した後、通行中の女性を商店街の中華料理店に引き連れ、女性と中華料理店の店員や家族などを人質にとった(営業時間外)。
家族は店の裏口から逃げ、難を逃れたが、男は店の2階に立て篭もった。
中華料理店は駆けつけた警察官に包囲され、男の説得に当たった。
第8位
宮崎勤 「ネズミ人間がヌ~ッとあらわれて・・・」
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(とうきょう・さいたま れんぞくようじょゆうかいさつじんじけん)とは、 1988年から1989年にかけて東京都北西部および埼玉県南西部で発生した、幼女を対象とした一連の事件である。
第7位
荻原克彦 「須藤君の分まで長生きしたいです」
栃木リンチ殺人事件とは、1999年12月4日に栃木県で発覚した複数少年らによる拉致・監禁・暴行・恐喝・殺人・死体遺棄事件。
無抵抗な被害者を加害者少年らが連れまわして暴行を加え多額の金を奪い、被害者家族が警察に相談していることを知ると被害者を殺害に及んだという凶悪・凄惨な少年犯罪である。
また被害者の両親から9回もの捜査依頼を受けながらそれを拒絶し続けた栃木県警の不手際も世論に衝撃を与え、桶川ストーカー殺人事件とともに一部国民の警察不信の一因となった事件。
事件発覚後、栃木県警は世論および裁判所から厳しく批判された。
>>8
草
>>17
草生やしてる場合やないで
この事件、被害者を連れ回している犯人に、警察が「警察だ、馬鹿なことやってないで買えって来なさい」 って電話したのが被害者を殺す切っ掛けになってるんやで。
>>39
えぇ…
>>39
ガイジすぎやん
殺したってバレるのに やっぱ少年法って神だわ
>>8
これほんと同じ人間とは思えない事件
>>8
このセリフは畜生やな
>>8
これの被害者になった経緯って、DQNがある奴に「お前の職場に金づるになりそうなのおる?」って言われてなったから怖いわ
第6位
谷口誠一(ネオ麦茶)「自分の中に別の自分がいる。そいつが人を殺せと言っている」
西鉄バスジャック事件は、2000年(平成12年)5月3日に発生した当時17歳の少年によるバス乗っ取り(バスジャック)事件である。
西鉄高速バス乗っ取り事件や佐賀バスジャック事件、さらにインターネット掲示板の2ちゃんねるに犯行予告の書き込みが残されており、その時のハンドルネームからネオむぎ茶事件(ネオ麦茶事件)とも呼ばれた。
第5位
福田孝行(大月孝行に改名) 「ドラえもんが何とかしてくれると思った」
光市母子殺害事件は、1999年4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害された。
なお、未成年者が死刑確定した例としては戦後では小松川事件、少年ライフル魔事件、永山則夫連続射殺事件がある。
永山基準の枠組みでは当該事件について誰が見ても死刑以外に選択肢がない場合だけ死刑が出来るという基準によっていたが、本判決は「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」とし、本件のような場合は原則・死刑適用、例外・死刑回避という判断の枠組みを示した。
第4位
大久保清 「おれは悪い人間なんだ。人間の血は捨てたんだ。だから人間ではない」
1971年に画家を装い、若い女性に近づき言葉巧みに愛車に乗せ、人気のない場所で強姦、殺害し、遺体は山中に埋めた。この手口で同年に2か月足らずのうちに8人を殺害し逮捕。
1973年に死刑判決を受け、1976年1月22日、死刑執行。
第3位
勝田清孝 「僕は、真人間になりたかったんです」
1972年から1983年まで約10年間にわたり凶悪犯罪を繰り返し、犯行方法も次第にエスカレートしていった。
警察官を交通事故で呼び出し、駆けつけた警察官を車で轢き、銃を盗むという過激な犯行にもおよび、1982年10月31日から翌日にかけてその拳銃で、 高速道路のサービスエリアから強引にヒッチハイクして乗り込んだ車の運転手を射殺、この一連の犯行で警察庁は「警察庁広域重要指定113号事件」に指定した。
殺人の人数については22件について疑われ、勝田本人も22人を殺害したと自供したものの、14件は確証がなかったため立件されず、確定しているのは8人のみである。
なお、勝田の犯行とされているものの多くは初め別件だと思われていた。
第2位
佐川一政 「殺したかったわけではない。食べたかっただけだ」
1977年(昭和52年)からフランスに留学し、1980年(昭和55年)、パリ第3大学大学院修士課程修了。 引き続き同大学に在籍していた1981年(昭和56年)6月11日、佐川は同大学のオランダ人女性留学生(当時25歳)が自室を訪れた際、彼女を背後からカービンで撃って殺害。
屍姦の後、解体し写真に撮り、いくつかの部分の肉を食べた。
犯行を自供したが、取調べにおける「昔、腹膜炎をやった」という発言を通訳が「脳膜炎」と誤訳したことから、 精神鑑定の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、不起訴処分となった。
一位
おまけ以外ないやん
おまけは飽きた
神定期
第1位はお前ら自身や
>>22
ガイジ
>>22 無能
は?
おまけはいいわけではないだろ 動機を正確に説明してる
第1位
松尾昇 「おまけの中身が知りたくて――。 」
浜松市東区内のショッピングセンターで、ポテトチップスのおまけのプロ野球選手カードの入った袋25個に、 はさみで切り込みを入れたとして、浜松東署は6日、愛知県豊川市中条町宮坪、無職松尾昇容疑者(51)を器物損壊容疑で逮捕したと発表した。
「巨人軍のカードが欲しかった」と容疑を認めているという。
同署によると、松尾容疑者は5日午後1時55分ごろから約20分間、同センターで、 おまけのカード付きのポテトチップス25袋(1袋90円、計2250円)のおまけの袋をはさみで切った疑いがある。
同容疑者は、計35袋のおまけの袋を切り、中身のカードを確認して気に入った10袋を購入した。それ以外の25袋を商品棚に返してセンターを出たところを警備員に呼び止められたという。
>>35
神定期
>>35
これこれ
>>35
お ま た せ
>>35
素晴らしい
>>35
言ってない定期
おまけは言い訳やなくて動機やけどな
>>43
言い訳だぞ
おまけは言い訳やなくて動機やからセーフ
松尾が自分で言ったわけじゃないんだよなあ
反応からみると8位のやつが実質一位やんな
自分で言ったわけじゃない言葉が名言として語り継がれる 偉人あるあるやね