【歴史】偉人たちの年収を識者が算出 「偉人の年収ランキング」発表 坂本龍馬は60万円
誰もが名前を知っている歴史上の偉人たち。でも、彼らの懐事情となると知っている人はそう多くはない。
『日本人の給与明細 古典で読み解く物価事情』(角川ソフィア文庫)の著者である山口博・富山大学名誉教授、そして歴史研究家で文教大学付属高等学校教諭の河合敦氏の協力のもと、「偉人たちの年収ランキング」を作成。
一番おカネ持ちの英雄は“あの人”だった! ここではあの偉人25人を紹介する。その前に、今回の算出条件をみてみよう。
●時代を代表する為政者、武将、大名、軍人、政治家らを中心に、山口博・富山大学名誉教授、河合敦・文教大学付属高等学校教諭の協力のもと資料が残っている人物を優先して算出。
●大名の場合、総石高の半分を農民に、残り半分を領主が受け取っていたとする(五公五民)。
そのうえでさらに臣下の取り分を3分の2と仮定したため、大名の取り分は総石高の6分の1とした。一方で、宮本武蔵のように家臣を持たない武士の場合にはそのまま収入とした。
●米1石=1000合=150キログラムとし、当時の米の価値から15万円とした。
●1両は当時のレートで換算。江戸時代中期の市川團十郎のみ6万円とし、他は江戸時代後期の偉人であることから1万円とした。
●西郷隆盛が陸軍大将となった明治初期の1円は現在の2万円とし、伊藤博文らの時代である明治後期は1万円、東条英機らの時代である昭和初期は5000円とした。
●金額については諸説存在するケースがある。
【歴史上の偉人たち「年収」ランキング】 (偉人名:当時の年収・現在価値での年収・備考の順)
1位)織田信長:117万石・1750億円
本能寺の変の直前である1582年頃に支配していた、関東の一部や中部・近畿・中国地方の石高が700万石。
2位)徳川家康:67万石・1000億円
1600年頃の伊豆・相模・武蔵・上野・下野・下総・上総・常陸・甲斐などを直轄領としており、その石高は400万石。
3位)豊臣秀吉:37万石・555億円
天下統一後、関白職を秀次に譲り太閤となった最盛期1591年頃の直轄領の石高は222万石。
4位)上杉謙信:24万石・362億円
出羽、越後、佐渡、越中、能登などを領地とした時の石高が145万石。
5位)武田信玄:22万石・335億円
甲斐、信濃、駿河と遠江、三河、飛騨、越中などを領地とした時の石高は約134万石。
6位)伊達政宗:19万石・285億円
1589年の秀吉による小田原城攻めに参加する直前の頃、陸奥、出羽66郡の約半数を治めていた時の石高が114万石。
7位)徳川光圀:4万6666石・70億円
水戸藩第二代藩主となった1661年の石高28万石をもとに算出。
8位)石田三成:3万2000石・47億円
関ヶ原の戦いにおいて西軍の指揮官だった頃の石高が19万石。敗戦後、領地は没収された。
9位)真田昌幸:6333石・9億5000万円
石高は3万8000石。長男の信之は13万石まで勢力を伸ばした。
10位)藤原道長:田地、綿などの現物支給・4億5000万円
従一位太政大臣時の給料。ほかにも荘園の名義貸しをして得た収入があったといわれている。
11位)大岡忠相:1666石・2億5000万円
「大岡裁き」の大岡越前。町奉行での働きが認められて寺社奉行になり、1万石の大名となった。
12位)長谷川平蔵:1500石・2億2500万円
『鬼平犯科帳』の鬼平のモデル。火付盗賊改方の長を務め、情報収集のために町人にそばを振る舞うなどして経費がかさんだという。
13位)勝海舟:1000石・1億5000万円
1872年制定の太政官制における従二位の年給俸禄を基に算出。枢密顧問官も務めていたが、その待遇は不明。
14位)大久保利通:7200円・1億4000万円
参議という大臣クラスの役職の給料。実質的に政界のトップとして「富国強兵」をスローガンに殖産興業政策を推進した
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160317-00000011-pseven-life
15位)源頼朝:田地、綿などの現物支給・1億2400万円
正二位の年俸が1億1000万円に征夷大将軍の給与1400万円程度が加わる。別に将軍家の荘園からの収入があった
16位)西郷隆盛:6000円・1億2000万円
陸軍大将の地位にあった1872年の月給が500円。当時、大佐の月給は250円、大尉は100円だった。
17位)伊藤博文:9600円・9600万円
1885~1888年の内閣総理大臣としての月給800円から算出。
18位)市川團十郎(2代目):1000両・6000万円
1721年に給金が1000両になった。千両役者の語源ともいわれ、あまりの人気に収入が高額になりすぎ、幕府が給料の上限を決めるほどだった
18位)東郷平八郎:6000円・6000万円
1904年1月21日の海軍給典令における海軍大将の年俸。なお、参謀として有名な秋山真之は当時中佐で年俸は約1800円(1800万円)
20位)宮本武蔵:330石・4950万円
晩年の1640年、熊本城主の細川忠利に剣術の指南役として招かれた際の禄高。浪人の身分で指南役という大役を任されるのは異例。
21位)東条英機:9600円・4800万円
当時の総理大臣の月収800円から算出。なお、1931年の陸軍大将の月収は550円、二等兵は6円だった
22位)大石内蔵助:250石・3750万円
祖父・良欽が死去して受け継いだ遺領の石高が1500石。なお、吉良邸への討ち入り費用は691両(約7000万円)といわれている。
23位)山本五十六:6600円・3300万円
1943年の海軍大将の年俸。1943年に前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死した。
24位)近藤勇:600両・600万円
副長の土方歳三は約480万円、沖田総司や斎藤一は約360万円、下級隊士は約120万円。下級隊士でも当時としては高給だった。
25位)坂本龍馬:60両・60万円
坂本龍馬が結成し、日本初の株式会社といわれる「海援隊」のメンバーには毎月5両の給料が支払われていた。
※週刊ポスト2016年3月25日・4月1日号
おわり
以下、2chの反応
面白い視点だな
今まで考えた事もなかった
信長よりも秀吉の方が多いだろ 石高だけが収入じゃないんだぞ
>>4
貿易の収入とかまで含めると単純比較が難しくなる
>>4
それは謂わば会社の収入だからなぁ。 会社の収入なら秀吉>信長かもしれんが、部下への給料引いた純粋な社長の収入は 信長>秀吉じゃないかな。
秀吉は信長ほど盤石じゃなかったから、部下への褒賞は手厚かっただろう。
>>4
国政経費が多くて給料までならなかったんじゃない?
城の建造費はどこからでている計算なだろう
>>99
公私の区別が出来たのは最近のことだろ
>>4
いや信長だろ。
直轄の湊や鉱山は秀吉より多い。
秀吉は諸大名懐柔の為に結構大盤振る舞いしてるしな。
>>242
信長配下時代の秀吉って、どーやって金集めて居たんだろうな? 対毛利200万石相手とか、信長の兵站援助だけじゃ中々大変だw
>>253
長浜姫路堺等の交易収入だろう それができたから他の武将より評価されたし実際強かった
>>256
なるほど。交易収入で水攻め土木工事費捻出したり、他より米を高く買い取って、兵糧攻めしたり、軍資金捻出はそう言う感じか。
長浜、姫路の土地収入だけじゃ足らんわな。毛利相手には。
>>259
あと堺商人の後ろ盾も。光秀は商人との付き合いはそんなに無かったらしいから秀吉に敗れる一因になったそうな
>>253
信長直轄部隊だけでなく、信長が各軍団に与力を命じてた。最前線と接して無い軍団は各地へ援軍として派遣されてる。秀吉支援を命じられた光秀みたいに。
意外と信忠軍団は馬車馬のように働かされて、信長の期待に応えてる。
信長はいろいろ経費かかってそうなので手元にはあんまり 入らなかったんじゃないかという気がする 特に軍事予算多そう
(-_-;)y-~
信長の必要経費領収書とか作ったら、物凄い量やろな。 領収書保管用の蔵がいっぱい建つで。
織田信長 「これ、経費で落としてくれないか ?」
経理の智子さん 「社長、今月分はもう締めきりましたよ。今頃持ってきて困ります」
織田信長 「すまん・・すまん」
意外と秀吉は少ないのな
>>5
秀吉は譜代の家臣がいなかった分恩賞で釣るしかなかったから仕方ない。その代わり気前の良い殿様に見えはずで、それが天下を取るのにはプラスに影響したと思うよ。
家康なんか天下取った後でさえ譜代の家臣に10万石くらいしか与えないケチだった。家康存命中は本多忠勝ですら10万石くらいだったような
秀吉は集めた金を担保にして商人から金を借りてそれでやりくりしていた
家康は秀吉から没収した金を湯水のように使いまくって5大将軍綱吉の時代にほぼ使い果たした
同じ財産でも使い方が全く違う
おもしろい見方だな。
戦国時代、殺し合いまでして領地を取り合う気持ちが実感できるな。
>>14
でも信長の時代とかに年収1750億って何に使うんだろ どーせ城に引きこもって やれハワイだの、プライベートジェットだのって楽しみないだろうに
>>32
夏にカキ氷食べるのにも億ぐらいいる時代だろう。
光圀出すなら紀州の頼宣や尾張の義直の方が上じゃないの?
>>23
偉人とやらの選び方の問題だろうね、石高勝負なら加賀の方がだし
>>28
江戸時代の大名は天下人でも戦国大名でもなく 任命されただけの大名だから支出も同じくらいさせられた
全世界ならマリのマンサムーサが世界一の富豪だっけ
人類史上最もお金持ちのマンサ・ムーサ
マンサ・ムーサは、マリ帝国の9代目の王。在位:1312年-1337年?。アラビア語の文献には、マンサー・ムーサー(アラビア語: منسا موسى, ラテン文字転写: Mansā Mūsā)の名で記録される。
1324年の派手なメッカ巡礼で著名である。巡礼の帰途、立ち寄ったマムルーク朝治下のカイロで、金相場を下落させるほど大量の金を惜しみなく分け与えた。この王の時代からマンサ・スレイマン(在位:1341年-1360年)の時代までにマリ帝国は最盛期を誇った。
現在の価値にして約4000億ドル(約35兆円)という人類史上最高の総資産を保有した。
/wikiより/
前田利家どこいったんだよ
前田家は120万石じゃなかったか?
>>1
信長と北条早雲は「四公六民」だろ。
貧乏旗本の三男坊は相当貧しかったんだろうなぁってのがわかりました
幕府の体制下で太った豪商とかのほうが少なくとも信玄以下よりは上じゃないかと思う
だいたい、石高だけでいえば毛利北条島津の最大版図のほうが謙信や信玄よりも上だよ
室町幕府の足利尊氏、義満、義政、義材、義昭辺りが知りたい
>>35
足利幕末の収入で酒税や関所の通行料を取ったから金閣寺等が作れた
織田の熱田利権
豊臣の金・銀山
上杉の青そ&日本海利権
毛利の銀&銅&鉄&瀬戸内利権
最低限、ここら辺は加算しないとまるで意味が無いだろ
>>84
それらは個人収入ではないんじゃないか ワンマン社長でも会社の売上を自身の収入とはしないだろう
天皇が抜けてる
あと聖徳太子
あと弘法大師とか親鸞上人とか
この理屈なら日本の総理なんて特別会計も入れたら400兆円超えてるんじゃね?
武将は個人収入じゃないでしょ 信長の小遣いが1700億という風に勘違いさせる記事
>>105
信長の収入つーより、信長が社長の会社の年商だよな ここから部下の給料や設備等の経費を差っ引かなきゃならん
>>117
だからそれも差っ引いた数字が1750億円
坂本竜馬が60万のはずないと思うんだが。そもそも25位より下が60万のはずないだろ。
龍馬(´;ω;`)
竜馬www
ヒモレベルwww
竜馬はむしろ払う側だからな その海援隊は赤字だからけで薩摩や土佐から資金援助を受けていた 竜馬はその金で豪遊してたから海援隊士の給料を参考にするの無意味
>>1
竜馬の場合はぼんぼんだしなあw
実家の大店のネームバリューも利用してたと思う 自分自身はそんなに金を持ってなくとも 目的達成の為に動かした金は半端じゃないと思うよ
今の世の中思想じゃ大金は動かせない
坂本龍馬は商人の息子で実家は裕福だった筈
>>37
身分は低くても坂本家は上士からも一目置かれていた豪商だったらしいね 龍馬はたびたび資金援助してもらっていたようだし
坂本龍馬は親が金持ちだったんだっけ 親のすねかじってカッコいいこと言ってたんだと思うとイメージ変わるなw
俺の年金より少ない竜馬
この2chスレまとめへの反応
年収とか書いてるけど、武将はこれで配下の俸禄や知行地
領国の運営費や戦費まかなってるんだからさあw
個人所得じゃなくて、「企業の年商」ってふうに考えなきゃダメなんだってのw
信長の凄い所は、茶道具に異常な付加価値を付けた事だよな
普通なら褒美として領地を渡す所を茶道具で済ませられたりするし
滝川一益なんて甲府上野要らんから茶器をくれって言ってるくらいだしな