未解決事件怖すぎワロタ
長岡京殺人事件
1979年5月23日、長岡京市内にあるスーパーでパートをしていた主婦二人が仕事終了後、近くの山の竹林にワラビ採りに行ったまま消息不明となり2日後の25日、山頂付近で遺体となって発見された。
直接の死因は主婦A(当時43歳)が絞殺、主婦B(当時32歳)が刺殺。二人のリュックには、それぞれ空の弁当箱、採ったワラビ、財布が入ったままであった。検死の結果、死亡時刻はどちらも正午過ぎから二時半までと判明。
どちらも金を奪われた形跡はなかったが、主婦Aの衣服のポケットから
“ オワレている たすけて下さい この男の人わるい人 ”
と鉛筆で走り書きをした、勤務先のスーパーのレシート(日付は事件当日より2日前)が発見される。
だが、どちらの荷物にも衣服のポケットにも、この鉛筆がなかった。後日の捜索で、殺害現場から少し離れたところで芯の先端だけが見つかっているが鉛筆そのものは見つからなかった。
>>1の続き
主婦Aは全身30箇所以上も殴打され、肋骨が折れて、肝臓が破裂しており主婦Bは全身50箇所以上も殴打され、包丁が体に突き刺さったままだった。
その上、両名ともアキレス腱が切られていたという。
なお警視庁の鑑定結果によると、犯人の血液型はO型と判明している。 犯行現場は、殺された主婦たちのように、ピクニックがてら山菜採りに地元の人が訪れているようなところだったが犯行発生前から木や竹が生い茂り、昼間でも薄暗いところが多く、レイプ事件も発生していた。
遺留品は主婦Bの遺体に突き刺さっていた包丁一本のみで指紋は検出されず販売ルートも解明されずじまいだった。そして、有力な手がかりも得られないまま1994年5月24日に公訴時効が成立した。
まさかの長岡京か
俺も思い出してたよ・・・
これ5年後に同じスーパーで働いてた人も殺されてんだよな
そのスーパー怖いな
福島女性教員宅便槽内怪死事件
郡山から車で1時間ほどの阿武隈山地に位置する福島県田村郡都路村(現田村市)。山間の静かな村にある教員住宅で事件は起こった。
平成元年2月28日の18時ごろ、村内の小学校に勤める女性教員のAさん(23)が、住まいとしている小学校に隣接した教員住宅に帰宅し、トイレに入って何気なく中を覗くと靴のようなものが見える。(※靴のうち1足が頭部付近にあった。もう一足は自宅付近の土手で発見された)
驚いて外の汲み取り口へ周ると蓋が開いていて、中を覗くと人間の足が見える。
Aさんはすぐに教頭先生ほか同僚の教員を呼び、同僚の先生が警察へ通報した。
まず近くの駐在から警官が駆け付け、続いて村の消防団員と三春署員が到着した。署員らは便槽から中の人物を引っ張りだそうとするが狭くて出すことができず、周りを重機で掘り起こし、便槽を壊してどうにか出すことができた。(便槽は後にSさんの父親が復元して保存している)
便槽の中の人物はすでに死亡していた。遺体は真冬というのに上半身裸で、着ていた上着を胸に抱えて膝を折り、顔をやや左に傾けた形で固まっていた。
>>6の事件って映画かなんかでやってなかったか?とんでもないポスターだった気が
遺体はその場でホースの水で洗われ、さらに運ばれた消防団の詰所で洗われ、医師による検案が行われた。
検案で死因は「凍え兼胸部循環障害」と判定された。狭い場所で圧迫され凍死してしまったという見解である。
体にはヒジ、ヒザにすり傷がある程度で目立った外傷も無かった。争った形跡も無い。死後硬直の状況から26日頃に死亡したものと思われた。
遺体の身元はすぐに判明した。現場から車で10分ほどの村内に住むSさん(26)だったからである。警察はSさんが覗き目的で便槽内に侵入し、狭さで出れなくなって凍死したものと判断した。
事故死として警察に処理されたこの事件だが、村内では疑問を呈する声が囁かれた。
死亡したSさんは村に両親と祖母の4人暮らし。スポーツと音楽が好きな好青年。高校時代は仲間とバンドを組んでギターを弾き、自ら作詞もして、自作の詩を書いたノートを何冊も残している。
>>Sさんの詩
(「俺の言葉に泣いた奴が一人/俺を恨んだ奴が一人/それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人/俺が死んだら、くちなしの花を飾ってくれる奴が一人/だがみんなあわせてたった一人/それは、誰、誰、誰なのだ」)
仕事は隣町の原発保守を行う会社で営業主任を勤めていて、村では青年会のレクリエーション担当部長として中心的存在。明るく人望もあり、結婚式では司会をよく頼まれ、村の村長選挙では応援演説を頼まれるほどの存在だったからだ。
そんなSさんが覗きをするために便槽に忍び込むとは考えられない、
彼を知る誰もがそう話していた。
また、住民のAさんは大喪の礼などで二十四日から二十七日まで休暇を取っており、県内の実家へ帰省しており留守だった。後述するようにSさんとAさんは知人であり、Aさんが留守という事を知っていた可能性がある。
もし知っていたらこのタイミングに覗き目的で便槽に侵入することはありえない。
Sさんの足取りにも疑念が残る。
遺体で発見される4日前の24日(昭和天皇の大喪の礼当日)から足取りが途絶えていたのだ。
5日前の23日に先輩の送別会に出席、翌24日深夜1時ごろに店を出た。その日の午前10時ごろ、父親は居間でテレビを見ていると、「ちょっと行ってくるからな」というSさんの声を聞いたのを記憶している。
そこから遺体発見までの4日間、Sさんの足取りはプッツリと途絶えてしまっているのだ。車は教員住宅近くの農協駐車場で、カギを付けた状態で発見されている。
それに靴の片方が土手で発見されているのも不可解だし、そして死亡推定日が26日。行方不明から2日程は生きていたことになる。
Sさんはその間何処でどうしていたのか?
それにマンホールの直径は36cmに対し、25-29歳男性の平均肩幅は40.4cmである。(※経済産業省2004-2006調査)
Sさんんの体格は不明だが、女性並に小柄だとしても(同年代女性の平均肩幅は36cm)ギリギリである。肩をすぼめれば入れないことはないが、かなり困難であることは明白であり、常識的に考えて自らの意思で入ることが躊躇われるので狭さである。
仮に侵入を試みたとしても、その狭さから途中で諦めそうである。それでもSさんは最後まで侵入し、その結果身動きが取れなくなり命を落としている。そこまでして覗きをしたかったのだろうか?
事件後、村内ではある噂が囁かれていた。。
事件直前に行われた村長選挙は、近年まれに見る非常に厳しいものであった。その選挙に絡んでSさんは殺されたのではないか?という噂だ。
Sさんが応援演説に途中から出てこなくなったことが憶測を呼ぶことになる。(Sさんは金のバラまきに嫌気がさして関わることをやめたらしい)
噂が噂を読んでしまいには「だれだれが怪しい」といった名指しで疑いを口にする者が現れるにいたって、真相解明を求める署名活動が起こり、1ヶ月あまりで集まった4000人程の署名が、三春警察署に提出されている。
しかし警察はあくまで事件性が無いとして取り合わず、捜査が行われることはなかった。
たしかに村長選挙が原因で殺人が行われたと考えるのは、いささか突飛すぎるであろう。それに、仮に第三者が意識不明状態や死後に無理矢理押し込もうとしても、マンホールの狭さからして自分で入る以上に困難をともなうことは想像に難くない。
もうひとつ気になる事実がある。
Sさんと教師のAさんとは、Aさんの恋人男性を通じて知り合いだった。
そして、以前Aさんがイタズラ電話に悩まされていたことがあり、Sさんは恋人男性と一緒にそのイタズラ電話を録音して、警察に届け出ていた。
結局この件で警察は動いてくれなかったが、Sさんの知人によると、Sさんは犯人が誰だかほぼ突き止めた様子だったという…
はたして突き止めたというイタズラ電話の主はどこの誰で、そしてこの件に関係していたのであろうか?
今となっては確かめるすべはない。。
おわれてる、の話し
今日ちょうどふと思いだしてたとこでびっくり ぞぞぞってするよな
加茂前ゆきちゃん失踪事件
■事件発生の経緯
父は夜勤を終え、事件当日の朝帰宅し、失踪発覚までそのまま寝ていた。
学校は卒業シーズンで通常よりも帰宅が早くなっていたいたため、ゆきちゃんの帰宅は午後2時頃。
ゆきちゃんは、友達から遊びに誘われたが、「約束がある」と断ってたらしい。
同2時半頃、が家に電話した際に、ゆきちゃんが出て「今日夜勤で遅くなる」「わかった」と会話。
同4時前頃 次女帰宅。まだ暖かい飲みかけのココアがテーブルの上にあるのを見たものの、ゆきちゃんは家にいなかった。
同4時半頃 父起床。ゆきちゃんはいなかったが、遊びに行ったものだと思い気にしなかった。
同 夕方 長女帰宅。父は夜勤へ。母帰宅。
午後8時頃 地元警察に捜索願を提出。
■捜査状況
ゆきちゃんは、普段学校から帰るとランドセルを置き、校庭などで友達と待ち合わせ 遊んでいることが多かった。その際は自転車を使っていた。 しかし当日、自転車は家の前に置かれたままだった。
いつも着ているジャンパーが脱いだまま部屋に置いてあった。
目撃情報は多数寄せられた。 学校のジャングルジムで遊んでいた。学校横の十四川周辺にいた。自宅からわずか15mほどの四つ角で白いライトバンの運転手と話をしていた。学校近くの近鉄・豊田駅にいた。
しかし、いずれも有力な手がかりにはならなかった。
ゆきちゃん失踪事件から3年後 – ゆきちゃんの家に届いた3枚の怪文書。このあまりにも不気味な文書により、事件から十数年たった今でも事件が語り継がれることとになった。
怪文書は3枚から成り、紙に鉛筆書きの上からボールペンでなぞってある。
ミゆキサンにツイテ
ミユキ カアイソウ カアイソウ
おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ
コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ
トオモイマス
股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ
シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポウ
ニツトめた
イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ
裏口ニ立ツヨウニナッタ
イまハー ケータショーノチカクデ
四ツアシヲアヤツツテイル
ツギニ
スズカケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ
アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナ
ガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ
アサヤントオもう。
ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きく
ワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。
モウ股割レハ人ヲコえて、一匹のメス
にナッテイタ。
感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動い
タ。ソレガ大きな事件トハシラズニ、又カム
チャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、ケッカハ
ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル
モウ春、三回迎エタコトニナル
サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカ
トオモウ
○ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ
平和希求トハチガウ
ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタ
ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、広い
ダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル
股割れは平気なそぶり
時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガス
コトモアル、一片の良心ガアル、罪悪ヲ
カンズルニヂカイナイ
ソレヲ忘レタイタメニ股を割ってクレル
オスヲ探しツヅケルマイニチ
股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタ
コトハマチガイナイ
確証ヲ?ムマデ捜査機官に言フナ
キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト
事件ガ大キイノデ、決シテ
イソグテバナイトオモウ。
○ヤツザキニモシテヤリタイ
股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ
○我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ
コレガ人ダ コノトキガ女ノ一番
トホトイトキダ
賀茂川ゆきちゃんの怪文書は関係ない人間が出したってーのが定説なんだが
話膨らませたい奴がいつまでも言ってる
怪事件に怪文書はつきもんなのに何故こればかり取り上げられるんだろ?
石井舞ちゃん行方不明事件(1991)
自宅2階の部屋で友達2人と一緒にベッドで寝ていた舞ちゃんが姿を消した
これまたミステリアスな失踪事件。
舞ちゃんを最後に確認したのは母で舞ちゃんに布団をかけたとき(24日PM10:30)。
舞ちゃんがいなくなった事に最初に気がついたのは一緒に寝ていた友達2人で彼女達が起きたとき(25日AM5:30)
舞ちゃんは怖がりでトイレに1人で行くこともできない。1人でどこかに出かけたということはまず考えられない
一緒に寝ていた友達の1人が深夜、寝室で男が舞ちゃんに声をかける姿を見たと証言。寝ぼけていた可能性もあるため、100%の断言は出来ない。
家には1階と2階それぞれに玄関があり失踪前夜はそれぞれ施錠されていた。
妻が2階で寝ている舞ちゃんに布団をかけた後、洗面所を使用。その時1階の玄関扉の閉まる音がしたので窓から確認すると住み込みの従業員Kが出て行くのを確認したが、特に気に留めなかった。
その後、1階の浴室で入浴。この時、再び1階の玄関扉の音が閉まる音がする。そして何者かが2階の階段を上る「パタパタ」という音を聞く。
見てるから頑張れ
名古屋ホストクラブ経営者拉致殺害事件
この事件は、9月1日午後11時に名古屋市中区富士見町の路上で発生した。作業着とヘルメットで工事作業員に変装した10人前後の集団が帰宅途中の風俗店経営者男性(当時54歳)を銃撃した。
現場の隣に位置するマンションに住んでいた知人の女性が事件に気づき
大声で助けを求めるが、女性に気付いた犯人らは女性にも銃撃を加えそのうち一発が首を貫通し負傷した。
数発の銃撃を受けて倒れた男性を暴行し、車のトランクに無理やり押し込めトランクの中の男性に向けて至近距離で2・3発発砲した後自動車2台に別れて逃走した。
拉致された経営者男性はトランクの中で死亡しており、犯人らは所持金と貴金属類を奪い男性の遺体を損壊した上で、ドラム缶にコンクリート詰めにして滋賀県彦根市の川に沈められた。
その後、犯行グループはメンバーの一人が現場に落とした携帯電話から身元が割り出され逮捕された。
グループの構成は、指揮をしていた主犯格の元山口組系暴力団員男性(当時33歳)と人材派遣業男性(当時43歳)
無職の女性(当時30歳)。実行役は人材派遣業で働いていたと思われる日系ブラジル人の男性数名(うち二人は逮捕監禁容疑で指名手配)である。
以前から、被害者男性と加害者男性が金銭トラブルがあり、路上で言い争っている姿を目撃されている他 本事件の前の5月にも被害者男性が集団に襲われ警察沙汰になっていたことがわかった。
小学生誘拐事件は聞くたびに犯人はうまいことなまオナホ手に入れたなとうらやましく思うが、かえってこない下りが胸くそ悪すぎて腹立たしい。
せめて一月ぐらいで返してやれよと鬼畜すぎだろ
広島一家失踪事件
事件は、2001年(平成13年)6月4日、広島県世羅町という、岡山県との県境にある山間の町で同町に住む山上さん一家が、突如、飼っていたペットと共に行方不明となった。
この山上さん一家の失踪には、奇妙な点が多いと言われている。
まず、自宅の様子であるが、山上さんが所有する車は無くなっていたが妻の順子さんや千枝さんの携帯電話や免許証は置いたままで順子さんが社員旅行で持っていくはずであった旅行鞄もそのまま中には現金15万円が入ったままであった。
また部屋にパジャマは見当たらず普段着は畳んでおいてあった。布団のシーツは乱れていなかった。
台所は、電気がつけっぱなしで、テーブルに朝の朝食が用意されてあった。玄関は鍵がかかっており、サンダルは無くなっていたが、靴は置いてあった。
また、室内で争った跡や血液反応も見られなかった。近所の者も争っているような物音は聞いていないという。
以上の点から、山上さん一家は、パジャマ姿のサンダル履きで突発的な出来事によって出かけたという事になる。ペットの犬も一緒にいなくなっている事から、拉致の線は考えにくい。
「一家失踪」で真っ先に思いつくのは、「金銭がらみの夜逃げ」であるが
山上さんは金銭的に困っている事実は見られなかったし、人と恨みを買うようなトラブルもなかったという。
そして娘の千枝さんにおいては、職場の評判も良く、その上、将来を約束した男性がおり失踪する理由がどこにも見当たらないのだ。
一方で、地元ではこんな話があるという。この地域には古くから「神隠し」の言い伝えがありそれになぞらえ、事件を語る者もいるらしい。
昔、江戸時代に長者の家で働いていた、「お夏」という女中が、草刈りをしに山に行ったきり帰って来ず村人が山を捜索するも、とうとう見つかることはなかった。
そして、お夏の墓があるその山を一家が所有していたのだった、、というものだ。
謎の失踪は、不幸な結末を迎えてしまう。一家失踪から約1年後の2002年9月7日、世羅町にある今丸ダムの湖底から山上さん所有の車が発見、中から4人の遺体と1匹の犬が見つかった。
警察は、遺体に目立った外傷がないこと、車の鍵はささったままで、転落した場所には車止めがついており通常では転落することが考えられないこと等により、一家は無理心中と結論づけた。
それにしても疑問は残る。無理心中をするのにパジャマ姿でやるのか?心中をするにしても、最後まで誰も逃げ出そうとしなかったのだろうか?
プチエンジェル事件
犯人の29歳の男性は無店舗型の非合法の未成年者デートクラブ「プチエンジェル」を経営。
女子高生数人をスカウトとして雇い、渋谷や新宿で「カラオケ5,000円、下着提供10,000円、裸体撮影10,000円」などと書かれたチラシを配ってローティーンの少女を勧誘し、男性客に斡旋
その他わいせつビデオの販売も合わせて多額の利益を得ていた。また本人も過去に買春で逮捕歴があり執行猶予中だった。
犯人はリビングでテント状にしたビニールの中に入り、七輪で練炭自殺を図り死亡した。だがビニールが溶けてしまい(自殺は)不可能だというコメントを当時の報道関係者がコメントしている。
遺書もなく犯人が自殺したため犯行の動機はわかっていない。ただ、犯人の父親は1993年に難病の頭頸部ジストニアを発症して1996年に自殺
兄も1999年に自殺、2001年には母親が自殺未遂を図っているなど身内に不幸が相次ぎ また、本人も持病のアトピー性皮膚炎で苦しみ知人に死にたいともらしていた。
その後の捜査によって、借りていた埼玉県久喜市のアパートから1,000本以上のビデオテープと2,000名に及ぶ顧客リストが押収された。
しかし、多くが偽名であることを理由に突然捜査は打ち切られ、以降、捜査が進められることもなかった。
そのため、この手の事件にありがちな芋づる式の一斉検挙といった動きは無く、誘拐事件は解決を見たがその背後にあるデートクラブ絡みの疑惑は未解決のまま終わっている。
>>28
犯人一家が自殺&捜査打ち切りとか 恐ろしすぎわろた
何か強い権力を感じる
お客やばかったんだろうね
井の頭公園バラバラ殺人事件
1994年4月23日午前、東京都三鷹市にある井の頭恩賜公園のゴミ箱にポリ袋に入った人間の足首が捨てられているのを(猫の餌を探すため)偶然ポリ袋を開けた清掃員の女性が発見した。
駆けつけた警察官らが公園一帯を捜索したところ、計27個に分断された手足・胴体の一部が袋に入って7か所のゴミ箱から発見された。
袋は小さい穴のある水切り用の黒い袋と半透明の袋の二重になっており、漁師らが使う特殊な方法できつめに結ばれていた。
手足の指紋はほぼ全て削り取られていたが、わずかに残っていた指紋とDNAから被害者は公園の近くに住む一級建築士の男性(当時35歳)と判明した。死因は不明。肋骨の筋肉繊維にわずかな生前出血の跡あり。
この事件について、目撃証言などから怨恨説や事故遭遇説
遺体の状態が複数人による組織的な犯行や異常性を匂わすことから宗教団体関与説など様々な説が錯綜していた。
しかし、交友関係からは全く犯人像が浮かばず、また、犯人に結びつく物証や情報が乏しく2009年4月23日、犯人の特定に至ることなく公訴時効成立を迎えた。犯人の動機など不明な部分が多い事件である。
切断されていた遺体は、関節や臓器などを無視して長さや太さも揃えられ、電動ノコギリのようなもので20cm間隔に切断されていた。
これは、公園内のゴミ箱の投入口サイズである縦20cm、横30cmにほぼ合っていた。
また、血液が一滴残らず完全に抜き取られていた。そういった作業を行うには、一般家庭では追いつかないほどの大量の水と医学的知識が必要である。
さらに、手足の指紋はほぼ全て削り取られていた。遺体の切断方法は少なくとも3パターンあり、複数犯説の根拠の一つになっている。
発見された遺体は体全体の3分の1ほどで、被害者の頭部、胴体の大部分は現在も見つかっていない。
残りの遺体は、事件発覚前日の22日に公園のゴミ箱に捨てられ、ゴミ収集車に運ばれ処分されたとする説もある。
石井紘基事件だけは触れちゃダメだぞ
グリコ・森永事件
1984年3月の江崎グリコ社長を誘拐して身代金を要求した事件を皮切りに
江崎グリコに対して脅迫や放火を起こす。その後、丸大食品、森永製菓
ハウス食品、不二家、駿河屋など食品企業を次々と脅迫。
現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れなかった。犯人と思しき人物が何度か目撃されたが逃げられてしまったため、結局正体は分からなかった。
その他、1984年5月と9月、1985年2月に小売店で青酸入り菓子を置き
日本全国を不安に陥れた。
1984年4月12日に警察庁広域重要指定事件に指定された。
2000年2月13日に東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え全ての事件の公訴時効が成立。警察庁広域重要指定事件としては初めて犯人を検挙出来なかった未解決事件となった。
2005年3月に除斥期間(民法724条)が経過し、民法上の損害賠償請求権が消滅した。
企業への脅迫状とは別に報道機関や週刊誌などに挑戦状を送りつけ毒入り菓子をばらまいて社会一般を騒ぎに巻き込んだことで、評論家の赤塚行雄から劇場型犯罪と名付けられた。
同時期に世間を騒がせた三浦和義のロス疑惑とともに当時の世相として振り返られることも多い。
地底湖で大学生が行方不明になった事件
2008年1月5日午後6時10分ごろ、岡山県新見市豊永赤馬の「日め坂鐘乳穴で四国の社会人と学生の探検グループから「洞窟(どうくつ)に調査に入った同僚の高知大学3年生の男子学生(21)が池に入ったまま出て来ない」と110番通報があった。
県警などによると、同グループ13人のうち5人が日め坂鐘乳穴に入り午後2時半ごろから洞窟内(奥行き約1600メートル)の奥にある地底湖(深さ約32メートル)で遊泳していた
県警新見署員ら約30人が 捜索を続けたが、男子学生は見つかっていないという。
同署や新見市消防本部などの調べでは、学生は大学の洞窟(どうくつ)探検サークルに入っており、学生や社会人など近県から集まった計13人で新見市を訪れていた。
不明の男子学生は、計5人で午前11時半ごろから洞穴に入り、午後2時半ごろ、着衣のまま遊泳している最中、行方がわからなくなったという。
新見市教育委員会によると、この洞穴は県の天然記念物に指定されており、洞穴に入るには同市教委への届け出が必要なのに、学生らは届け出ていなかったという。
赤城神社主婦失踪事件
1998年5月3日、千葉県白井市の主婦志塚法子さん(当時48歳)は、家族(夫・娘・孫・叔父・叔母・義母)と群馬県宮城村三夜沢(現前橋市三夜沢町)の赤城神社へツツジ見物に訪れていた。
あいにくの雨のため、神社へ行く夫と叔父以外は駐車場に停めた車の中で待つことに。
しかししばらくして法子さんは「折角だから、賽銭をあげてくる」と、財布からお賽銭用に101円だけを取り出し、神社への参道を登っていった。
その時の格好は赤い傘を差し、ピンクのシャツに黒のスカートという目立つもの。娘は駐車場から法子さんが境内とは別方向への場所でただずむ姿を目にしている。
これが家族が見た法子さんの最後の姿となってしまった…
戻らない法子さんを心配した家族はあたりを捜すも見つからず、警察へ通報。10日間で延べ100人あまりで付近一帯を捜索するも見つからなかった…参道は山道ながらもよく整備され、崖などの危険な場所や道に迷う箇所もない。
また、ゴールデンウィーク中で神社には沢山の人が訪れていたが、不審な人物や物音を聞いた人はいなかった。群馬県警にも20件ほどの情報提供があったが、発見に結びつく有力なものはないという。
失踪から7か月後、失踪当日の同じ頃の赤城神社で偶然撮影されたホームビデオが撮影者によってテレビ局に提供された。そこには法子さんとおぼしき人物が、何者かに傘を差しだすような姿が小さく写りこんでいた。
しかしその人物からの申し出が出ることはなかった。。
また失踪後、数回無言電話が自宅にかかってきている。その局番は「大阪」と「米子」であった。
家族は必死に法子さんの行方を捜し、テレビ番組「奇跡の扉 TVのチカラ」等にも出演したものの、解決にはいたらなかった。
失踪から10年後の2008年には、群馬県警が顔写真等を掲載したビラを500枚配布。情報提供を呼びかけた。
尚、2008年6月、法子さんの失踪宣告がなされている。
名古屋妊婦切り裂き殺人事件
1988年(昭和63年)3月18日、愛知県名古屋市中川区のアパートに会社員(当時31歳)の男性が帰宅。室内で妻である臨月の妊婦(当時27歳)が殺され、赤ちゃんが泣き叫んでいるのを発見した。
妻は両手を縛り上げられており、首に電気コードを巻かれ、絞殺されていた。
死体は、薄い鋭利な刃物で、みぞおちから下腹部にかけて縦38センチにわたって切り裂かれていた。
彼女の足元には、赤ん坊が、へその緒をつけたまま泣き叫んでいた。犯人は妊婦を絞殺後、胎児を生きたまま取り出してへその緒を刃物で切断し子宮にコードを切り離したプッシュホン式の電話の受話器とキャラクター人形のついたキーホルダーを入れた後、妻の財布を奪って逃走した。
取り出された胎児は男の子で、太ももの裏、ひざの裏、睾丸の3箇所を刃物で切りつけられていたが病院で約1時間の手術を受け一命を取り留めた。
なお、絞殺の凶器は別の物であり、首に電気コタツのコードが巻かれたのは死後とされている(コンセントが刺さっていた状態で発見された)。
有効な手がかりがないまま2003年(平成15年)3月18日に公訴時効が成立し、未解決事件となった。世間の好奇の目にさらされ続けた夫と子供は1999年(平成11年)に日本国外に移住している。
>>38
これうっかり殺しちゃった後に赤ん坊まで死ぬのは忍びないと思って取り出したんかな
>>40
なんか発想がサイコパスっぽい
未解決事件によくある怪文書や無言電話には、正直恐怖よりも怒りを覚える ふざけて被害者の家族の傷付いた感情を弄んでるわけだし
佐久間奈々さん誘拐事件
佐久間奈々さんと3人の同級生が約4キロ離れたコンビニエンスストアまで、夜食を買いに自転車で出かけたのは、10月27日午前零時すぎ。
買い物を終えた帰り道4人は国道126号を渡り、午前1時ごろ、多部田町付近まで来たときに「こんなところで何をしているんだ」。見知らぬ中年の男はそう言いながら近づいてきた。
男は巧みに補導員を装い、「16歳未満の者が11時すぎに歩いていると、犯罪になる。
普通なら警察ざただが、話を聞くだけで許してやる。お前が代表でついて来い」と言い、佐久間奈々を指名した。残る3人には「お前たちは帰れ」。
男は佐久間奈々さんを近くの細い道の方に連れて行った。そのまま奈々さんは行方不明。
奈々さんが連れ去られた27日の午前1時20-30分に、現場付近の交差点で奈々さんと男らしい2人連れを、通りがかった車の運転手が目撃していた。
午前4時過ぎにも、隣接の住宅地、千城台の方を歩いている2人連れを目撃したとの証言もあった。しかし、それ以降の情報はぷっつり切れたままの状態。
1991年10月27日に起きた事件であり、奈々さんは生きていればすでに30才を超えている。
>>41
悲しいなぁ…どこかで死んでるんだろうけど…
世田谷一家殺害事件
21世紀を目前に控えた2000年12月30日午後11時ごろから翌31日の未明にかけて東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で、父親(当時44歳)・母親(当時41歳)・長女(当時8歳)・長男(当時6歳)の4人が惨殺された。隣に住む母親の実母が31日の午前10時55分ごろ発見、事件が発覚した。
この事件は、20世紀最後の日に発覚した、大晦日に差し掛かろうとする年の瀬の犯行だったことや犯人の指紋や血痕など個人を特定可能なもの、靴の跡(足跡)の他、数多くの遺留品を残している点 子どももめった刺しにする残忍な犯行、殺害後に翌朝まで10時間以上に渡って現場に留まりパソコンを触ったりアイスクリームを食べたりするなどの犯人の異常な行動、これらの多くの事柄が明らかになっていながら犯人の特定に至っていないことでも注目される未解決事件である。
また、年の瀬に発生した殺人事件という時期柄もあって一年を振り返る区切りとなる年末近くになると、警視庁による情報公開が行われマスコミが話題に取り上げることが多い事件である。
捜査特別報奨金制度対象の事件に指定されている。
>>43
これは怖い
長年かけて築き上げてきた幸せな過程を一夜にして終わらせてしまうんだからな…無念だと思う
こんなこと書いてると夜中にインターホンが鳴るぞ
おっと誰か来たようだ
そういえばロス疑惑って結局なんだったんだろうな やはり三浦は黒か?
そもそも事件にすらならずに終わった事件?みたいなヤツもあるんだよな 福島県南相馬市女子高生行方不明事件とか
>>50
そー言うので言えば熊取連続自殺事件 これは興味深いぞ
ネタ切れっす
このあたりの事件って、どこまでが都市伝説なのか区別つかないんだよね。
>>55
福島県南相馬市女子高生行方不明事件とかは震災のゴタゴタで発見されたんだよね 司法解剖もされなくて火葬しちゃったし
今となっては謎のまま
警察が司法解剖せずに事件を見逃しちゃうケースはよくある もっと解剖医の待遇改善してほしい