1度は行ってみたい世界の要塞、城塞、砦を俺が紹介していくスレ
ぼちぼちやっていきます
期待している
平遥古城
中国山西省中部にある城郭都市。
中国で城というと普通この城のように城郭都市を指す。この城は明代に築かれており比較的保存状態が良く、歴史も古い(中国は戦乱が多いのでなかなか綺麗な状態で残りにくい)。キングダム読んでる人はよくでてくる都を想像すると全体像が掴みやすいと思う。
中には鎮国寺、双林寺、孔子廟などがある。ちなみに孔子廟はここだけじゃなくて世界中にあるようなものなので(個人的には)珍しくは無いと思う。世界遺産に登録
>>3
孔子廟なら日本にもあるで
ラホール城塞
パキスタンにある城塞。
ムガル帝国の皇帝アクバルによって建てられたのを基礎としている。第3代アクバルの建てたマスティー門
第4代ジャハーンギールによるディワーニ・アーム(謁見場)
第5代シャー・ジャハーンのモーティ・マスジド(真珠のモスク)、シーシャ・マハル(鏡の宮殿)
第6代アウラングゼーブのバードシャーヒー・マスジド(王のモスク)などムガル帝国の宮廷建築の移り変わりを知ることが出来る。世界遺産に登録。
パキかぁ~、行きにくいな
さっさとあそこらへん平和になれよ
カルカソンヌはよ
カルカソンヌは前スレ立てたときに入れたと思うよ
フランスにある城郭都市。
要塞としての歴史は前1世紀からはじまっており、西ゴート王国など数々の国の支配下におかれ、アルビジョア十字軍の戦いの舞台にもなった。ビオレ=ル=デュクの修復により、廃墟となるのを免れた。
名前の由来にはカール大帝がこの地の攻略を諦めた時に、当時街を治めていたカルカスが勝利の鐘をならした(sonner)ことに由来するという伝説がある。
この街進撃の巨人のモデルになったそうです。
マサダ遺跡
イスラエルの死海南岸の丘陵を利用した天然の城塞遺跡。
ハスモン家によって築かれ、前35年にヘロデ王により改築された。その後ローマ軍の駐屯地にも使われたが第一次ユダヤ戦争では熱心党がたてこもり、イェルサレム陥落後もローマ軍に抵抗した。世界遺産に登録。
サンタンジェロ城
ローマのテーベ川付近にある城塞。日本語訳すると「聖天使城」になる。
ローマ帝国の皇帝ハドリアヌスが自らの霊廟として建設したのがはじまりであり、その後軍事施設として利用されるようになり403年にはアウレニアヌスの城壁の一部に組み込まれた。
その後も歴代のローマ教皇により要塞として強化され続け、牢屋や避難所としても使用されるようになった。バチカンのサンピエトロ大聖堂と秘密の通路で繋がっているという話がある。
スピシュスキー城
スロバキア東部にある城塞。12世紀に城の建造が始まったが、地盤が悪く崩壊してしまい、13世紀に再建された。
当初ロマネスク様式の建物であったのが、ゴシック様式になり、さらにルネサンス様式やバロック様式など様々な建物が増築されていった。その後、18世紀に焼失した後は荒廃の一途をだとった。1993年に世界遺産登録。
ロータス城塞
パキスタン北部のロータスにある城塞。ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンを破った、シェール・シャーによって築かれた。
川の沿岸に建てられ、周囲を5kmに及ぶ分厚い城壁に固められている。場内はインナーフォートとアウターフォートに分けられており、東門とバティアラ門が設けられている。初期イスラムの軍事施設として非常に貴重な遺跡である。1997年に世界遺産に登録。
バフラ城
オマーン北部の山の麓にある城塞。
7世紀ごろから海からのペルシア人、砂漠からのベドウィン族に対して建設され始め、16世紀に現在の形になった。
全長12kmに及ぶ城壁に囲まれており、要所には監視塔が置かれており、高さ約50mを誇る。
1987年に世界遺産に登録されているが、城壁がヤシの繊維を混ぜた日干しレンガでできているため崩壊の危機に面しており、19788年に「危機にさらされている世界遺産」に登録された。
セバストポリやイスタンブール
一乗谷、春日山、小田原
胸が高鳴る
コンウィ城・カーナーボン城
どちらもウェールズ地方にある城塞。
エドワード1世のウェールズ征服時にジェームズ・セント・ジョージによって造られた。
コンウィ城は8つの塔を環状に設置しており、中世イギリスの典型的な城塞建築と言える。カーナーボン城は縦端太勾配の連続垂直壁や、扶壁・塁壁を独立して防衛するための階ごとの連絡方式などのなかでも特に洗練されたものが見受けられる。
どちらも「グウィネズ地方のエドワード1世ゆかりの城塞郡」として世界遺産に登録されている。
ダノター城
イギリスにある古城。クロムウェルの内戦の時にスコットランド王党軍の最後の拠点として落城したとゆう歴史を持っている。
また、その後虐殺(150人くらい)があったなどの血なまぐさい歴史をもっている。
さらに、映画「ハムレット」の舞台として使われたことがある。写真(月と一緒の)はwindows7?8?のデスクトップの画像です。
アイリーンドナン城
スコットランドのお城。13世紀にスコットランド王がデーン人に対しての拠点として建設。
イギリス(てゆうかヨーロッパ)には宮殿に近い実用性をあまり気にしていない城が多いがこの城はなかなかに実戦向けの城です。18世紀のジャコバイトの乱で大きく破壊され19世紀にジョンマクレーによって再建されました。その際に実用性から見た目にウエートを置いたデザインとなりました。
マルボルク城(マリーエンブルク城)
ポーランドにある城。
ポーランド語でマルボルク、ドイツ語でマリーエンブルク。一般的に「ドイツ騎士団の城」として知もられている。12世紀から13世紀にかけて建設され、ドイツ騎士団の防衛の要として活躍した。
その後、第二次世界大戦ではドイツ国防軍とソ連赤軍との激しい攻防の結果ほとんどが破壊されてしまったが、戦後地元のポーランド人によって修復され、現在でも修復が続けられている。世界遺産に登録されている。
>>20
赤い(小並感)
ホーエンザルツブルク
オーストリアにある城。11世紀、聖職叙任権闘争の時期に教皇派が皇帝派によるカノッサの屈辱の報復を恐れて建設したもの。
15世紀後半にさまざまな施設が建設され、防壁が強化された。19世紀にはハプスブルク家の支配下に入り、2012年「世界の名城25選」に選ばれた。「ザルツブルク市街の歴史地区」として世界遺産に登録。
ポタラ宮殿
チベットのラサ市北西の紅山に位置する宮殿。名前の由来は観世音菩薩の住むと言われている普陀落(ぶだらく)からきている。
宮殿という名が付いてはいるが、世界でも最大規模である建物であり、国都の要の場所にあることから十分要塞としても扱うことができるであろう。紅宮と白宮とにわけられており、それぞれ政治、王の居住と用途が分けられている。世界遺産。
>>24
なんか綺麗
アイット・ベン・ハドゥ
モロッコ王国にある集落。クサルとは呼ばれるオアシス都市があり、アイットベンハドゥはその中でも特に美しいと言われている。クサルは孤立した集落であるためさまざまな工夫がされている。
アイットベンハドゥには入口はひとつしかなく1階には窓はなく、外壁には銃眼が施されている。また、最上階には篭城用の食料庫がある。さらに、映画のロケ地としても何度か使用されており、世界遺産に登録されている。
ブリムストーンヒル要塞国立公園
カリブ海に浮かぶ島にある要塞。西インド諸島の要塞で最大で38エーカー(東京ドーム3つとちょっとくらい)に及ぶ。ブリムストーンヒルとは「硫黄の丘」をいみする。
イギリスとフランスとの間で領有をめぐる争いがあり、17世紀にから18世紀にかけて激しく争っていた。19世紀のハリケーンで要塞は損害を受け、そのまま放棄されその後国立公園となり、世界遺産に登録された。
コレヒドール要塞
フィリピン、マニラ湾に浮かぶコレヒドール島にある要塞。コレヒドール島は古くからマニラを守るための要衝として存在していた。コレヒドールとはスペイン語で「厳重に検査する」という意味の言葉にに由来する。
アメリカ軍は第二次世界大戦時に大量のコンクリートを使用し、海上要塞としてコレヒドール島を要塞化した。現在、島には武器や要塞設備、マリンタトンネルなど遺跡として残っている。
ターボル城郭
チェコの都市。フス戦争の際、神聖ローマ皇帝に反対する勢力の中でも特に急進派が建設した。軍事目的で作られたため道がいりくんでおり、複雑な路地が多い。
もとは農民軍であったが急進派かつ大変訓練されており、「無敵」と評されるほどであった。
しかし、リパニの戦いに敗れ都市も皇帝の支配下に置かれてしまった。チェコの音楽家であるベドルジハ・スメタナは、連作交響詩「わが祖国」の第5曲でターボルを扱っている。
ナイアガラ要塞
アメリカの要塞。イギリスとフランスのアメリカ植民地の攻防に使用された。
300年の歴史を有し、五大湖の航路を支配する戦略的要衝であった。植民地時代には、18世紀にイギリスがフレンチ・インディアン戦争で支配下においた。
余談だがナイアガラ川がオンタリオ湖に入る地点にあるものなので、アメリカに行く旅行とゆうよりかは、カナダに行ってついで行く感覚がいいかもしれません。
ポーチェスター城
ポーチェスター城はポーツマス近くのポーチェスターという町にある城。海辺の近くにたっており、海抜は1mもないほどの平地にある。イギリスの中世の城によくあるようにローマ時代の要塞が原型である。
百年戦争の時には要塞として活躍し、その後英蘭戦争の捕虜収容所となり、19世紀には牢獄となります。キープにあたるとこは完全に残っており、見どころの一つです。
用意したぶんはこれで全部です
お疲れ!
乙!