大日本帝国の失われた名建築
明治から終戦までに日本国内(現日本領)に建てられた現存しない、若しくは主要部分が失われた建物を紹介していくよ
凌雲閣
かつて東京浅草に存在した12階建てのレンガ建築の塔
起案者は長岡の豪商であった福原庄七で基本建築はスコットランド人建築家のウィリアム・K・バートンによる 1890年に一般公開が開始された 日本の高層建築の先がけとなる建物であり展望室からは東京界隈はもとより関八州の山々まで見渡すことができた 日本発の電動式エレベーターが設置されたのもこの建物である 関東大震災で半壊し、後に陸軍工兵隊により解体された 跡地は現在パチンコ店となっている
横浜駅
1915年完成のレンガ建築の駅舎 1等~3等待合室が存在し、1等客室内は天井に漆喰の細工が施された豪華なものであった
また、通常の待合室とは別に女性専用の婦人用待合室も存在した 他にも駅舎内には食堂と本屋もあったが、食堂も1~3等食堂に分けられていた
関東大震災により倒壊
2003年に跡地にマンションが建てられることとなったが工事中に駅舎の遺構が発掘された 現在は遺構の一部が高島町に展示されている
万世橋駅
1912年完成のレンガ建築の駅舎
設計は東京駅を設計した辰野金吾
駅舎内には1等、2等待合室、食堂、バー、会議室等が備えられていた 関東大震災により倒壊した しかし駅舎の一部は現存しておりmAAch ecute神田万世橋という商業施設となっている
因みに駅の前にある銅像は日露戦争で戦死した広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像である 「杉野はいずこ」で知られた部下を大切にする上官の鑑として親しまれた 台座も含めれば高さ15mを超える巨大な銅像だったが終戦後GHQの命令で撤去された
京都駅
1914年完成の木造ルネサンス式建築 駅には東京駅と同じく一般用の入口とは別に皇室用の入口が存在した 切符売り場のガラス戸には色ガラスが使用され、貴賓室も存在するなど豪勢かつ大規模な建築物であった
京都市内は空襲などの被害をほとんど受けなかった為、この駅舎も終戦まで完璧な状態で残っていた しかし1950年に食堂からアイロンの火の不始末により出火、駅舎は全焼した
白木屋日本橋本店
1903年完成の建物 設計は伊藤吉太郎
塔部分は洋風だが、それ以外は和風のデザイン 1階部分の正面は三枚の回転扉で、2階には100人を収容可能な日本の百貨店としては始めての大食堂が存在した 客用エレベーターも設置されており、3階部分には200人以上を収容できる劇場が設けられていた 日本初の少女歌劇「白木屋少女音楽隊」を創設するなど栄華を極めたが関東大震災により建物は倒壊した
かつて白木屋は三越と肩を並べる大手デパート店であったが1999年に経営不振のため336年の歴史に幕を閉じ、閉店することとなった これはTVや新聞で大きく取り上げられ、閉店セールではたった一ヶ月で165億円を売り上げ社会現象とまで言われた
なんという俺得スレ
いいスレだね
こういうガチの西洋建築って今の建物にない風格があるな
あと、>>2はこち亀のアニメスペシャルで出てきた気がする(両さんが石ころ投げつけた後に大爆発したけどw)
吉沼時計店
1893年完成の建物
吉沼は宮内省御用を務めていた明治期の東京における有名時計商 当時店では時計の他に宝石や指輪、眼鏡なども販売されていた 1階と2階はレンガ造りだが、3階時計台からは木造建築 関東大震災により倒壊した
千葉県庁
1911年に完成したルネサンス式建築
建物はレンガ造りで地下1階、地上2階建てであった 1962年に現在の建物に建て替えられた 資料が少なく写真も殆ど残っていないため詳しい事は不明 現在千葉県庁に建物の復元ジオラマが展示されている
奈良県庁
和風の外観に内装は洋風の建築 当時の奈良県はエジプトやローマに肩を並べる都市として風致を徹底していた そのため洋風建築の帝国立奈良博物館(現国立奈良博物館)が建てられた際は古都の景観に相応しくないとして数多くの批判を浴びた その事から県議会は本邦建築の優位点をとるべしとして和風の意匠を積極的に取り入れていた そのため県庁をはじめ県議会堂、県公会堂、県警本部、県立図書館、物産陳列所、ホテルからキリスト教関係の建物に至るまで全て和風の外観で建てられたが、これらは全て内装は洋風のものであった
1965年に老朽化のため現在の建物に立替えられ撤去された 県議会堂、県公会堂、県警本部も同じく解体撤去されており保存もされていない
新庁舎
大阪市役所
1921年完成の近世復興式と言われる様式の建築物 庁舎のデザインを一般募集した結果、案中3案が優秀案に選定されこの3案を参考に設計されることとなった ホール部分の内装は大理石の床とステンドグラス、煌びやかなシャンデリアと豪華絢爛であった 第二次世界大戦でも被害を受けずに無事であったが、1961年に庁舎の立替え計画が浮上 日本建築学会は大阪市役所、日本銀行大阪支店本館、大阪府立中之島図書館、大阪市中央公会堂は永久保存すべきとの要望書を大阪市長に提出した
しかし大阪市は建物の保存は可能であるとしながらも結局取り壊しに着手、建物は保存されること無く1982年に隣接していた豊国神社と共に撤去された 日本銀行大阪支店本館、大阪府立中之島図書館、大阪市中央公会堂は現在も保存されている
新庁舎
長崎ホテル
1897年完成のレンガ建築グラバー商会の一員だったイギリス人リンガーによって建設されたリンガーはアジア一のホテルを長崎に建てるという夢を持っており、それを体現したのがこの長崎ホテルであった日本初の全室電話完備、自家発電、冷蔵設備を備えており、ダイニングルームは125名を収容可能であったというしかしリンガーの死後、ホテルは経営難で閉店を余儀なくされ、建物は再利用されることなく解体されてしまった
現在隣接している旧香港上海銀行は保存されいるが、ホテル跡地はガソリンスタンドになっている奥の黒い建物が長崎ホテル
白雲楼ホテル
1932年に完成したホテル建築
日本の建築様式に加えて北欧、南欧の様式を巧みに織り交ぜた外観であり
玄関部分は帝国ホテルの設計者であるフランク・ロイド・ライトの設計内部の装飾も豪華絢爛であり大広間の大襖絵は相川松瑞が、ダイニングルームの壁画は宮本三郎などが手掛けている
1998年に経営難のため営業停止、1999年に倒産営業停止後は暴走族やホームレスがホテル内に入り込んでは落書きや破壊行為、放火を行いメンテナンスの遅れもあって荒廃が進んでゆく登録有形文化財に指定されていたが2006年に解体が決定、工事が開始された解体業者は「解体はあまりにも惜しい、これは金沢市の完全な失策だ」と酷評した
同年夏に工事は終了し更地にされ、11月に登録有形文化財から抹消された 現在跡地には何も残されていない
大阪控訴院
1917年に完成した中央にある高い塔屋が特徴的なレンガ建築 大阪控訴院の建物としては三代目であり、二代目が火事で焼失したことから火に強いレンガ建築となった 完成に7年を費やした一大建築であり、大阪市民には「赤レンガ」の名称で親しまれた
1974年にその役目を終え、解体された 跡地には大阪裁判所が建てられている
大阪裁判所
逓信省
1902年完成の2階建てレンガ建築 逓信省技師の吉井茂則、内田四郎らによる設計 1907年に火災により焼失 1909年に3階建てのレンガ建築に立て替えられたが1923年に関東大震災により倒壊した
農商務省
1891年完成のフランス古典主義建築 設計は新家孝正 特許局、農工品陳列所、農工商会堂からなる1階が事務所で2、3階が陳列所となっていた
関東大震災により倒壊した
海軍省
建物は1894年に完成
ジョサイア・コンドルの官庁建築最後の大作
3階部分にペディメントを据えるという古典主義の定石からは逸脱した異質な作品 戦後に大日本帝国海軍が解体され、建物も保存される事なく徐々に解体されてゆき1985年に完全に撤去された 1949年に中央合同庁舎第1号館が跡地に建てられる事が計画され1954年に本館が完成した
跡地に建てられた中央合同庁舎第1号館
大審院
1897年完成のネオバロック式建築 現在の司法省旧本館に並んで建てられていた巨大なレンガ建築 設計はお雇いドイツ人技師であるベックマンとエンデらによる 本格的洋風建築で立体的な構造を持ち、立面の凹凸が大きく外国人らしい作品
東京大空襲により司法省、東京都庁と共に外壁のみを残して焼失 戦後は改修されて最高裁判所として使用されていたが1974年に解体された その後司法省は1994年に復元されたが、大審院は設計図が焼失しており復元は不可能であった
後にもう一枚の設計図がベルリン工科大学で発見された それによると大審院の内部は洋風でありながらも和風のデザインを取り入れた独特のデザインが随所に見られたらしい しかし今ではもうそれを目にする事はできない
帝国ホテル
1923年完成のホテル
フランク・ロイド・ライト設計の煉瓦コンクリート建築
両翼が大きく広がったデザインは平等院鳳凰堂に着想を得たという 関東大震災、東京大空襲共に損傷を受けながらも耐え抜いた東京だけでなく日本を代表する名門ホテルであった しかし1964年に老朽化のため現在の建物への立替え計画が発表され、これに対して民衆から大規模な反対運動が起こった 当時のアメリカ大統領リンドン・ジョンソンも 名建築であるこのホテルを解体するのはあまりにも惜しい、せめて保存だけでも何とかならないものかと発言するなど解体を惜しむ声が多かった
しかし結局建物は解体されることとなり、1967年に撤去された 辛うじてホテルのホール部分のみが保存され、現在は明治村に移築されている
移築されたホテルロビー部分
帝国劇場
1911年完成のルネサンス式建築の劇場 オペラ、バレエ、シェイクスピア劇から歌舞伎まで様々な演目を上演した
関東大震災で被害を受けたが改修されて翌1924年から営業を再開 戦後は洋画ロードショー用の映画館に転じたが、1965年に解体された
新帝国劇場
明治宮殿
1888年に落成した皇室の宮殿
外観は京都御所を模しており和風だが、内部は豪華絢爛なシャンデリアなどで飾られた洋風建築 明治から終戦末期まで日本皇室の中心的な建物であった
1945年5月の空襲で建物に火が燃え移り出火 特別消防隊が出動し、19名の殉職者を出すなどして必死で消火活動に当たったが炎は消せず建物は全焼した 昭和天皇は殉職者を悼むとともに、国民が戦災で苦しんでいるのに新しい宮殿を建てる事はできないとして新宮殿の建築にストップをかけ、国民の生活向上を最優先とした 結果として新宮殿の建築は後回しとなり、新宮殿の完成は1968年となった
以上です
数が少なくて申し訳ない
解説が素晴らしい
今来たけど
面白かったありがとう
こういうスレ好きだわ
>>1ありがとう
建物好きには嬉しいスレだな
ヨーロッパの建物のほうが凄いのが多いけど何かゴテゴテし過ぎててダメ 日本の建物より細かい装飾も多くて派手なんだけどなんかグッとくる物が無いんだよなぁ
西洋の猿真似なんて言われるけど俺には日本の西洋建築は本場のそれとは全く違うものに見える
現代のはただの四角だな
この2chスレまとめへの反応
もし関東大震災が無かったら東京の街並みも今と少し違ってた物になってたかもね
日本の街には風情がないとか言ってた奴もいたけど
ほとんどが震災で倒壊してるから仕方がないのかもね
>帝国ホテル
弟子の作品ではあるもののかなり似た意匠の旧甲子園ホテルが現存しているよ
>白雲楼ホテル
花咲くいろはってアニメの背景芸術のモデルがここ、東洋一のホテルの面影を
伝えるのが深夜アニメになろうとは誰が思っただろうか
保存しておいた方が良さそうなのもガンガン取り壊してるのは時代なのかな
東京駅を必死こいて復元した今なら違う結果になりそうだが