池袋母子餓死事件の日記の怖さは異常
1993年12月31日
「ただ心配なのは、来年、私しと、子供はどうなるのでせうか。後少しのお金で、一年持つか、持たないかの不安と、同時に、其の後は、どんな生活に、成るのでせうか」
「相談する人もないし、役所などに相談した所で、最後は、自分で、決めねばならない。子供が、病人である丈に、非常に、心配で、たまら無い。私しが、働けるとよいけれど、今の所、全身が悪いのでどうする事も出来ない」
1994年1月1日
「後、少しのお金を、やりくりして使っても、外に収入が無いので、この先、どんな生活を、するのでせうか、お正月、早、早、すみませんが、今後の私共の行くべき道を、お教え下さい、毎日が、どうしてよいかわかりません」
1994年1月8日
「私しは、毎日、毎日、全身がきつくて、動くのが、大変苦しい」
1994年1月15日
「昨年十二月から、今年にかけて、寒さがきびしく、冷えがひどい、暖房がないので、手など、たまらない程冷える」
以下、VIPがお送りします
怖くはないけどひどく悲しい
1994年3月7日
「食後に、子供が、足の爪を切ってくれと言って、その後、今後は、ヒゲを切ってくれと次々させられたが~(中略)、不安な毎日で、自分の身体をもてあましている上に、子供の病人の世話で、つかれきっている」
1994年7月11日
「そして私しは、八、九年ぶりに、自分の体をお湯でふけた。お風呂は、八、九年間一度も入らないのでアカがぼろぼろで困る。子供は、それ以上に、十何年間一度も風呂も、身体もふいていない、私共の現状はひどい」
1996年2月7日
「私も子供も気分が悪く、長い事、同じお菓子ばかりで食事をしてきたが、どうもいけなくて、何か変わったものをほしくて仕方がない。ミカンを初めて食べた」
1996年3月8日
「私共は、もう長い間、まともな食事を、していない上に、子供も、私も、一寸丈のお菓子で、一日を、過ごしているが、無理に、日数をのばしているので、いよ、いよ、明日か、明後日が、私共の食事の終わりになる」
1996年3月9日
「何も、良い目を受けたいとか、特別に成りたいとか、子供も、私も、望んではおりません、平凡な一生を送らせて頂けなかったのは、何か私共に、原因が、有りましたのでせう、最後に、不足ばかり、のべまして、申しわけございません」
当時の福祉課は何をしてたんだろうな
1993年だし経済的は成長しきったあとだからなぁ本当になにしてたんだろ
平成日本で餓死ってどうやったらなるんだろう
そりゃ病気で外出もままならないならわかるけど、いたたまれんな
人は弱りきると卑屈になるのか
1996年3月11日
「とうとう、今朝までで、私共は、食事が終った。明日からは、何一つ、口にする物がない、少し丈、お茶の残りがあるが、ただ、お茶丈を毎日、のみつづけられるだろうか」
「もう長い間、昨年1月17日からの病気が、直らない上に、次、次と、病気、病気が、その都度、新しくおこって、私は(ふらつき)が、どうしても、取れない、夜、フトンに、休んでからは、一寸横を向いても、ふらつくので苦しい」
「私は、今朝、夢の中で(歯が、全部ぬけた夢)を見ているが、これは身内に死人がある知らせと、聞いているので、子供が、先に、死ぬのではないかと、心配である。一緒に、死なせて頂きたい。後に残った者が、不幸だから」
1996年4月27日、東京・豊島区池袋のアパートの一室で、この部屋の無職・A子さん(77歳)と寝たきりの長男・Bさん(41歳)が餓死しているのが発見された。
1996年3月11日
「とうとう、今朝までで、私共は、食事が終った。明日からは、何一つ、口にする物がない、少し丈、お茶の残りがあるが、ただ、お茶丈を毎日、のみつづけられるだろうか」
「もう長い間、昨年1月17日からの病気が、直らない上に、次、次と、病気、病気が、その都度、新しくおこって、私は(ふらつき)が、どうしても、取れない、夜、フトンに、休んでからは、一寸横を向いても、ふらつくので苦しい」
「私は、今朝、夢の中で(歯が、全部ぬけた夢)を見ているが、これは身内に死人がある知らせと、聞いているので、子供が、先に、死ぬのではないかと、心配である。一緒に、死なせて頂きたい。後に残った者が、不幸だから」
これが最後の日記となった。3月12日から死亡推定日の4月初めまで、おそらく日記も書けず、横になり続けていたのだろうと思われる。
参考文献↓
近代文芸社 「震災以後 ニュースらいだー’95~’96」 黒田清
公人の友社 「池袋母子餓死日記 覚え書き(全文)」 公人の友社
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
筆を置いてからの1ヶ月は文字通り筆舌に尽くしがたい辛さだったのだろうな糞尿もそのままで痺れる手足とまだ冷える4月の空気の中で死んだんだろうな
どっちが先に死んだのか分かってるの?
>>21
どっちかはわかってねぇな
息子は病弱だったみたいだしこういう状況だと生き残るのは割と女だしな
>>23
息子が残ってたらどんな気持ちで毎朝迎えていたのか考えるだけできつい
しまいには親を恨んでもおかしくないと思うけどこの日記見るとそれも親としてはとても切ない
長文は引っかかりまくるけどググればすぐ出てくるから日記全文読みたい奴はググれ
怖いというかただただ悲しい感じ、何で誰にも頼れなかったのかしら……(´・ω・`)
素朴な疑問なんだけれど
普段の買い物とかどうしていたのかな?
何年も風呂に入っていない人がスーパーやコンビニに行ったら 少なくとも近所に知れ渡って何年も役所が無視していたとは思えないな
>>26
たぶん…日記は妄想というか想像と現実が混じって書いてあるような気がする… ただ亡くなったのは事実なんだ
>>27
やっぱりそういうことかな
こんな極限状態で日記を書くなんて 面倒くさいことするかなって思ってたんだよ
実際池袋にはむちゃくちゃ臭いババアがいて、こいつ絶対風呂入ってないだろって思える人も西友に買い物来てるよ
>>26
役所に相談はしてる
精神疾患で病弱な息子を長年世話してたせいか 年老いた親はノイローゼで正常な判断できなくなってる
1995年3月29日
朝、年金係の人からの手紙が入っていた。 うちがお金に困り、後暫くしかここにおれないのを読まれて、相談するようにと区役所と西福祉事務所などを教えて書いてあるが・・・ 良い人が世話されるとよいが、悪い人にあたったら大変と聞いているので、今は最後までガマンする。
1995年11月30日
一銭も無い様に、なくなってしまったら、後は、飲まず食はずで、どんなにしたらよいのでしょうか、 役所などに、たのむようにと、教えられましたが、私共は、普通と違うだけに、一般の人、同様には、してもらえないでしょう、 今後どうして生きていくのでしょうか早く、死なせて下さい。
>>33
そうなると餓死の原因は貧困によると言うより ノイローゼが主な原因ってわけだな 誰か正常は判断の出来る身よりの者がいれば防げたのか
家賃高そう
ネットが今みたいにだれでも使えたら助かってた命やね かわいそう餓死って…
>>29
いやいや無理だと思う
そういう文化的なものすらまともに扱えない経済状況家庭環境じゃないかこれ
親子が住んでたアパートは家賃が85000円
母親が受け取っていたと報道された老齢年金は10万と言われていたが実際は2ヶ月に1度85650円を受け取っていただけである
>>32
家賃高過ぎィ!
>>41
家賃1000円やわ
ちなクソ田舎
日記を分析した区は「生活保護の申請など社会に訴える考えはなかったようで、母親が抱いていた世界観で自ら死を選んだ」との結論をくだした。しかし、事件が報道されると区への批判が殺到した。
さらに区側のプライバシーの侵害の恐れのある日記の内容公開や、それについて都議に虚偽の受け答えをしたことから、区長ら幹部5人が減給などの処分を受けた。
>>34
やはりメディアと白痴はクソ
金に困って食うに食えず死んだ人間がいる一方で金があって多少の減給じゃ痛くも痒くもないやつらの処分が減給か
バカみたい
信用されない行政ってね
これ行政叩きになるのはさすがにお門違いじゃないか?
そもそもなんで池袋なんて高いとこ住んでんだよ 糖質ノイローゼが自爆しただけだな
普通に自分の妄執に囚われていたやばい人の可能性もある
家賃が高くても病弱で寝たきりの息子とノイローゼの母親2人じゃ家は探せても引っ越しが難しいんだろうな
ちなみに旦那は一緒にアパートに越してきたものの先に亡くなっている
哀れだけど酷い言い方すると糖質ノイローゼが被害妄想で役所行けなくて死んだ
この人達が悪いとは言わないけど原因がない訳じゃない
気の弱い人だったのかな
なりふり構わず助けを求めてればなんとかなったような気もするけど
こういう時周りに頼れないと死ぬよな
この2chスレまとめへの反応
家賃高杉引っ越せって引っ越し費用もままならんし新たに賃貸契約してくれるとこもないやろ?
頭に「どうせ役所は何もしてくれん」からと生活保護の相談にも行ってないし
まぁ「年金貰ってるならそれで我慢しろ」と言われるかも知れんけどな
生活保護さえ受けられれば家賃は半額見てもらえるし医療費はタダだから息子ともども治療できたかも
ろくに相談にも来てない奴の事で役所叩きされてもなぁ
豊島区の人口何人やと思ってるんだって話
消極的な自殺と変わらん
監禁されてたならともかく、自由に動ける環境だったのに、
助けを求めようともしない人間を助けるなんて現実的に不可能だ