祖父が死ぬ三ヶ月前にまともになった話
不思議体験と言うか、なんとなくこの話を大勢の人に話したいなぁと思ってスレ立てた
俺の祖父はというと、多くの特許を取得したと言う町工場の社長だった。
俺が覚えている一番古い記憶(何歳か不明)では、すでに隠居を始め工場に顔を出すことも少なくなっていた。
享年98の大往生から逆算すると、当時祖父は70ぐらいだろう。70にしてはガタイはよく覇気はあり声もデカイ。見た目40とかそこらのオジサンと言っても十分に通用したと思う。
だからこそ、俺が高校生の頃に大ボケ始めた頃はショックだった。
以下、ニュー速VIPからお送りします。
老人介護が問題視されたり、祖父母の介護を妻が請負疲労困憊する話をよく聞くと思うが、本当に大変だった。
祖父が四十年かけて築き上げた豪華な庭は荒らしまわるは、裏山から降りてきたタヌキを見て俺の名前で読んでお小遣いあげていたり、コンビニやスーパーで「支払った!」と、勘違いして警察呼ばれたことも多々あった
正月でもないのに餅つき始めたり、他所の家の柴犬を拉致してきたり、もう引っ越して居ない人の家に遊びに言って「○○!酒持ってきたぞ!」とあろうことか長靴装備の土足で上がり込んだ時は、その家の畳の張替えまでさせられた。
ついでに家に役所の人が来て、さんざん祖母と母を咎めていた姿は今でも晴れない気持ちになる。
それに祖父は職人気質を持ち合わせていた。
その為、よく祖母や俺の母を怒鳴る&殴る蹴るしていた。そこに止めに入るのが俺の唯一できる介護状態だった。(大学受験も控えていたし
俺が無事に大学に入る頃になると、俺も祖父との付き合いを始めた。
主に監視や、アレ取ってこれ取っての小間使いだが、それだけでも大変だった
さらに財布を管理していたので「お前!俺の金取ったダロォ!」と殴られた事もあった
ちなみにこの時すでに祖父は俺が誰だか分からなくなり口癖のように「お前は俺の会社で取ってやる!」と言っていた。
この頃、俺の叔父に当たるオジサンが工場どころか会社ごと潰したので本当に居た堪れない思いだった。その叔父は未だに行方不明だ。
未払いの給料を求めて訪れた従業員達を見て、祖父は「なに遊びに来てんだ!仕事しろ!」と怒鳴って、それに切れた若い従業員がブチギレて祖父に掴みかかった時は大変だった。
祖父はなぜ掴みかかられたのかわかっていない様子だったので、尚更。
祖父の体が動かなくなり始めた頃、家族に「これでおとなしくなる」とか言っていた。改めて考え直すと酷い孫だ。
倒産した会社の後処理も長い付き合いの弁護士を交えて、順調に終わらせたので、本当に落ち着いた日々に戻れると思っていたんだ。
ただ、実際は真逆だった。
祖父は体が動かなくなることに不満を抱き、常日頃から怒鳴る&物を殴るor投げるの危険人物になった。
役所紹介の介護ヘルパーさんの提案の元、車いすや家の中をバリアフリー仕様にリフォームしたのだが、むしろそれが裏目に出て「俺は老いぼれじゃね!!」と、「こんなの俺の家じゃね!俺は出て行く!」と毎日の様に怒鳴り散らしていた。
持ってきた車いすはその日の内に仕事道具でバラバラにされた。
ちなみに、ちょっと関心できたのは、ちゃんとバラしたパーツをメモして再び簡単に組み立て直せるようにしていたことだった(まあ借りた車いすなのでお金を払ったが……
そんな祖父でも日本酒を与えればおとなしくなった。ただ、祖父が長いこと呑んできた地元の日本酒は高いので、家の財政状況が危機的状態なのも踏まえ、安酒に変えた。
この時「働いてきた人間にこんなもの飲ますのか!今までのもそうだったのか!」と物凄い勢いで怒られた
よんでるよー
なんか悲しい結末になりそうな予感…
大学を卒業する三日前だったと思う。
祖母の顔半分が赤紫になるほど腫れ上がった顔を見て、本当に祖父を殺してやると思った。
ベットの上で寝たきり状態だった祖父だが、上半身のチカラだけでコッチへ体を向け、取っ組み合いになった。割りと強かった。
日頃の足腰の悪さはどこいった?と疑いたくなるほど強く、このまま立ち上がってボコボコにされると思った
幸い立ち上がることもなく、仕事が終わって返って来た父親が間に入り、喧嘩は終わった。
祖父は「ソイツは誰だ!?イキナリ襲ってきたぞ!強盗じゃないのか!警察呼べ!」とひっきりなしに叫んでた。
祖母には何度も「ゴメンネ」言われて、同時に「許してあげて」とも言われ、もう本当に辛かった
ちなみに祖母はこの時の青痣がシミになって、今は顔にスカーフ巻いている。
祖母自身は「スカーフというお洒落をしれてハピハピ、ハピネス!」と、どこで覚えたみたいなセリフ言ている。
ただ殴られた当時は、正直結構美人で着物に合う「ザ・女将」みたいな人だったので可哀想にも思える。実際本人もすごく木にしていた。大学の卒業はもちろんコレず、それを悔やんでいた
俺は大学を出て勤め始めた頃から、祖父の本格的な弱体化が始まった。
それとも卒業間近で喧嘩したあの時に、すべての力を使い果たしたかのように、大体その次の週ぐらいから、本当に見る見る内に筋肉も体の肉も、肌のハリや目の生気もなくなっていった。
怒鳴る物を投げるは継続していたが、昔ほど怖くもなく。さらに言えば、物を投げるにしても1メートルも飛ばないのであたっても痛くない。コッチが怯えなくなったからか、祖父は意味が無いと分かったようでブツブツ言うだけになった。
食もドンドン細くなってきて、歯もドンドン抜け、髪の毛も全体が真っ白になった。
定期に病院には行っていたが「これが老化です」と言われた。こんなに簡単に人は老化するのかと思った。よくテレビや漫画小説である敵キャラが「不老」に憧れるのも無理はないと思った。
俺が入社して半年経った頃に初入院した。
一ヶ月の入院ということだが、祖父は「俺を殺すのか!!」と怒鳴っていた。ただ病院内でも散々暴れ周り、同室のボケジジと怒鳴り合いして点滴を投げ、「もっと設備と技術が備わった病院に……」と祖父は厄介払いされたが。不思議と不満はなかった。俺らの苦労が認められたと思った。
入社して1年経った頃、祖父が苦しんでいるので病院に行くと電話が来た。
ガンを患っていた。嫌々だった為に、一年に一回程度しか全身診断できなかった結果だと思った
事実役所やヘルパーさんから我が家は散々とっちめられた。
「強引でも連れて行かなきゃ!」「病院ならプロが居るから!」「殴っても問題にならない!」そんなこと言っていたと思う。
俺は祖父の横で「お前のせいでそう言われたんだぞ」と恨み辛みをぶつけた。怒鳴っては居なかったが、それを聞いていたと思われる看護師さんに「あんまりキミはこない方がいい」と言われた。
割りと介護の疲れて犯す殺人があるのだと、またそういう人様の心のセラピーもあると紹介された。もちろんセラピーには行かなかったが、祖父に会いに行くのはそれっきりにした。
手術は無事に終わったが、祖父は「俺の体に何をした!!」と怒鳴っていた。
手術する前に「それは大変だ。先生俺の中から悪いの取ってくれ」みたいなこと行っていた人が、麻酔から覚めると同時にお腹に違和感を覚えて、そう言うのだから怖い。
この時、お腹の中に爆弾を入れられた。きっとあの怪しい奴のしわざだ、と言うようになった。
怪しい奴とは俺のことである。
ただ祖父はもっとガリガリに痩せていった。手術は無事成功とのことで、この痩せは「老化」なのだと言う。5分怒鳴ったら、その日は疲れきって一日中寝ている状態だ。
しょっちゅうイライラしていたので朝から寝込んでいることもあった。
その後の数年は入退院を繰り返す日々だった。
看護師さんを殴ったり、医者と怒鳴り合いを繰り広げ、転院を5回もするハメになった。
行き着いた先の病院は警備員が警棒持って立ち、疲れきった表情の男性看護師さん、病室の叫び声が廊下に響いている。医者や看護師さんが力づくで患者を抑えこむ、普通の病院だった。
最初こそ、そんな光景に多々ドン引きしたが、ここの先生や看護師さんは本当に人が良かった。
ちなみに看護師さん曰く「精神病棟……よりは……」と多々話を聞いた。
そこでも祖父は速攻BL入りしてしまう可哀想な人だったが、祖母も母も俺も「ここがあの人の最後になるだろうな」と思った。
そして、とうとうその日が近づいて来た。その日、祖父はおとなしかった。祖母は寝ているだけだと思ったが、部屋の中が妙に鉄臭く祖父の元へ行ったらしい。
すると祖父は鼻血と吐血していたらしい。
俺はその叫び声を聞いて飛び起き祖母の元へ向かうと、祖母が一所懸命祖父の名前を呼んでいた。俺はすぐに119番し、祖父のその後を見守った。
胃と食道の内部の表面が何らかが原因して裂けたとの事だった。唇を切るが胃と食道で起きたと思ってほしい。日頃から怒鳴っていたんが災いした……というのも無きにしも非ず、とも言われた
そこから零れ出た血液が気管に詰まっていたそうだ。幸い肺をキッチリ塞いでいなかったのは幸いだったらしい。
祖父はこの日を境に、家に一切帰ってこれない。同時に余命も僅かでしょうと告げられた。
医者として医学的に考えて余命を告知するには早かったそうだが、先生の長年の経験から言って……との話だった。この状態になってしまうと、体にどんな異常が起きてもおかしくないらしい。また突然死に至るのも普通だとも、やんわりと伝えられた。
だが、祖父は俺らの期待を裏切り無事に長生きを継続させてきた。
さすがの先生も「あの時のセリフ恥ずかしすぎる」と言うほど、祖父は元気に怒鳴っていた。
ボケは治らなかったし、うっかりして傷口を開いてしまったりする、早速の大迷惑を披露する祖父。
長年付き合ってきたからか、それとも疲れすぎてなのか、または家に祖父が居ないからか。
祖母も母親も俺も「この調子じゃ後五年は生けそうだ。100歳超えるんじゃね?」と思っていた。
ちょうど俺の仕事が立て込んでいた時に、血相を変えた祖母の声で急いで病院に行くと、いつもの奇声が聞こえる病室ではなく、物静かな病室へと案内された。
なんで物静かな病室なのか。理由は簡単で、この病室に居る人間は、本当の意味でいつ死んでもおかしくない人たちなのだ。
「この病室に祖父がいるのか、ふーんっ。とうとう終わりか……」などと思っていたが、他の患者さんが付き添いの人に手を握られていたり、黙って見守られていたりする光景を、3度ほど見て、祖父がいるところに近づくにつれ、緊張していった。
祖父のおうこの頃には見慣れてた人工呼吸器を装着した姿は、今までの比較にならないほど小さかった。
本当に「あ、この人、もうすぐ死ぬのだな」と子供でも分かるだろうッて言うほど弱々していた。
早朝から大人しかったそうで、警戒はしていたそうだ。
昼過ぎにハッキリと祖父が意識を失っているのが分かったらしい。病室に居る「ウチのな、父親はな、立派な軍人でな」の三拍子が口癖の婆さんが、異変を看護師に伝えたそうだ。
そんなのはどうでもいいと、小さくなった祖父を見つめていた。
何を考えていたんだろう。正直、何かを考えていたのか思い出せない。早く死ねと思ったような気もするし、昔の祖父との思い出を思い返していたとも思う。
……な感じでシンミリとしていた時、祖母の手を祖父が力強く握り返した。
しゃべることもせず、体の動きもそこだけだったが、しっかりと祖母の手を握っていた。ちょっと張り詰めた空気が和らいだのはよく覚えている。
それから一ヶ月後。
祖父は相変わらず寝たきりだった。祖母は毎日祖父の病室へ通っていた。あの特別な病室は長くて半年と言う話を聞いたと教えられた。
これは「半年以内に(沈黙)」とのことで、この話はこの病室に来る患者の親族全員に話すことらしい。
要するに「終活やっとけや!家で揉めるなよ!心の準備しておけ!」ってことらしい。
ポストに入れられる「お葬式のご案内!」とか言うチラシも冗談で眺めることはなくなっていた。
そんなある日、家に電話がかかってきた。それも深夜だ。母親は「父からか……」と電話を取った光景をよく覚えている。
母「はいもしもし、○○です。あ、先生……どうしたんですか?」
アイコンタクトで『向こうの様子がおかしい』と伝えてくる母
俺は仕事終わりのビールをゆっくり飲んで溜まっていたドラマを見ていたが、ちょっとカッコ付けて背広を着たと思う。飲んでいるので運転もできないのに。
母「はい?え!?は、はい……?え!?父さん!?ええ!?お父さん!?」
ただ母親の様子が面白いぐらいおかしかった。ものすごく電話しながら混乱していて、何故かコッチをチラチラ見て、本当に我を忘れている様子だった
何か少し目頭が熱くなった
これからハピハピハッピーな話になることに期待
立派な人がボケるとこんな感じになるんだろうか
切ないなぁ
気になるわ完結してくれ1
この2chスレまとめへの反応
長げえよw
終盤で欲が出たな