日本史の人物で、俺が悪役だと思った20人を画像付きであげていきます。
【No.1】
蘇我入鹿(飛鳥時代)
「元祖血まみれフィクサー」。独裁者の如く権力を握り、飛鳥の都を牛耳った大豪族。自らの豪邸を飛鳥の丘の上に建て、時の帝を見下ろして暮らすという傲慢さ。
聖徳太子の息子で人望も厚く次期天皇との呼び声も高かった「山背大兄王」を標的にし、自分の権力拡大のため別の皇子を擁立しようとしていた入鹿は、山背大兄王を襲撃し一族もろとも自害に追い込む。
ここで聖徳太子の血脈も途絶えてしまった。父である蘇我蝦夷ですら呆れたこの蛮行に飛鳥の民すべてが怖れおののいた。
しかし、この横暴ぶりが反感を買い、中大兄皇子・中臣鎌足に宮中で暗殺され、「大化の改新」へと繋がった。
【No.2】
道鏡(奈良時代)
「権力に溺れた肉欲坊主」。欲とは無縁の僧侶という立場にありながら、女性の孝謙上皇(のちの称徳天皇)を誑しこんで権力を握り、瞬く間に出世した男。
当時権勢を誇ったライバル貴族・藤原仲麻呂と戦うと、幼子を含めて家族丸ごと斬首した。もともと民間の僧であるにも拘らず、自ら天皇の座に就こうと画策したという前代未聞の所業。まさに欲望丸出し坊主。
「道鏡が天皇になるべきだ」という神官からのお告げがあったと主張したが、帝が宇佐神宮に確認の使いを出したところ、「皇族以外は帝に就いてはいけない」という真逆のご神託を受け、最後は流罪に。
【No.3】
藤原薬子(平安時代)
「愛欲の平安クレオパトラ」。桓武天皇の皇太子に自分の娘を嫁がせたにも拘わらず、その皇太子を自ら誑かして不倫関係に。愛欲を利用して政治に介入し、権力を意のままに操った。
この横暴が時の天皇の怒りを招き、遂には朝廷が2つに割れて争う前代未聞の異常事態を引き起こした。
【No.4】
藤原時平(平安時代)
「道真を左遷した男」。自分のライバルであった平安の大天才・右大臣・菅原道真に根も葉もない言いがかりで無実の罪を着せた非道な策略家。一族郎党を都から追い出し、更に道真を遠く大宰府への左遷に陥れた。
が、恨みに燃えた道真の怨霊に祟られて命を落とした。
【No.5】
平時忠(平安時代)
「元祖KYコメンテーター」。平清盛の義理の弟で、清盛の地位と共に昇進し平家の栄華が極まると「平家にあらずんば人にあらず」という後世にも残る超ド級のKY発言で大顰蹙。
しかし、時代は変わり源平最終決戦「壇ノ浦の戦い」で捕まると、自分の娘を源氏の義経に娶らせ保身を図った。
【No.6、No.7】
源頼朝・北条政子 夫婦(鎌倉時代)
「いい国のため弟も殺す冷血大将軍」。弟・源義経の活躍のおかげで平家滅亡を成し遂げ、鎌倉幕府を開くことができた。にも拘わらず、その弟に謀反の疑いをかけ追い詰めた非道な兄。
義経の涙の助命嘆願にも耳を貸すことは無く、頼朝の圧力に屈した奥州・藤原氏によって義経妻子が自害に追い込まれた。更に、義経の愛人で子供を身籠った静御前を捕まえ、産まれた息子まで惨殺した。
肉親をも顧みない非常な男。結局は、義経の首を差し出した奥州・藤原氏も滅ぼした。
そして、妻・北条政子は、頼朝に側室を設けることを許さず、浮気相手の家を打ち壊した。頼朝の死後は出家し、夫が建てた鎌倉幕府を守る為、すさまじい執念を燃やす。
不仲になれば実の父親すら追放、そして2人の我が子を幽閉・暗殺した黒幕とも噂され、「鬼の尼将軍」と呼ばれることになる。
【No.8】
日野富子(室町時代)
「京都を焼いた銭ゲバ女」。室町幕府八代将軍・足利義政の妻。じかし、長い間子宝に恵まれず、夫の弟が後継者になっていた。ところが、富子に男の子が生まれ、我が子を将軍にしようと執念を燃やす。
この時期将軍を巡る夫婦喧嘩が引き起こしたのが、日本史上空前の内乱・応仁の乱。11年に及ぶこの戦で京都の町は焼け野原に。
しかも、自らが戦乱のきっかけになったにも拘わらず、それを憂いるどころか敵味方問わず諸大名に高利で金を貸し、荒稼ぎ。その額、平成の世で70億円という恐るべき金の亡者。
【No.9】
斎藤道三(戦国時代)
「恩人殺しの毒マムシ」。娘・濃姫が信長に嫁いだので、信長の義父。道三の父は、僧侶から油売りとなり話術や武芸が見込まれて武士として取り立てられた人物。
自分たち親子を取りたててくれた恩人・長井長弘を夫婦2人とも殺害し、長井家を乗っ取った。
更に、自らの主君で美濃の守護大名である土岐氏の兄弟対決をあおりたて、兄を国外追放に成功した後、弟も国外追放し、受けた恩を仇で返す事の繰り返し。遂には美濃を治める大名にまで上り詰めた、ミスター下剋上。
息子・義龍に謀反を起こされ殺される。
【No.10】
松永久秀(戦国時代)
「信長もあきれた三大悪の男」。
元々、京を支配していた三好家の家臣だった久秀。主君の息子を毒殺して成り上がり、京の支配を狙って室町幕府13代将軍・足利義輝を殺害し、三好三人衆との戦いで奈良東大寺の大仏に火を放って焼いた。
更に、信長から差し出せば命を助けると言われた天下に名だたる名茶器「平蜘蛛の茶釜」と一緒に爆死した。
茶器を集めるのがステータスとされ、国よりも茶器の方が価値の高かった時代において、この名茶器を失った事に、信長は酷く悔しがったという。
ちなみに、悪役としても有名だが、茶の湯などに精通した文化人・教養人であり、築城の名手として知られた武将でもある。
【No.11】
明智光秀(戦国時代)
「日本史上最大の裏切り者」。突如、信長に謀反を起こし、京都・本能寺で信長を自害に追いやった。
天下人最有力に躍り出るも束の間、中国大返し(中国地方で毛利輝元と戦っていた秀吉は、信長への謀反の話を聞いて、仇を討つ為すぐに京へ戻った)で京都へ戻った秀吉に「山崎の戦い」で敗れ、野望は潰える。
敗走途中、落武者狩りの農民に襲われ、あっけない最期を遂げた三日天下の男。 この本能寺の変が無ければ、この後日本は世界戦争に突入しただろうという見解。
信長は朝鮮半島を経て大陸を取るつもりでいた事などからの予想であるが、この光秀による謀反で日本の歴史が大きく変わったと言っても過言ではないだろう。
【No.12】
義姫(戦国時代)
「政宗を毒殺しようとした鬼母」。東北のスーパーヒーロー・伊達政宗の実母にも拘らず、政宗の弟・小次郎ばかりを寵愛し続け、小次郎に家督を継がせようと策略。
招いた政宗の食事に毒を混入させ毒殺を図った。
【No.13】
淀殿(戦国時代)
「破滅型激情クイーン」。織田信長の妹・お市を母に持つ浅井三姉妹の長女。秀吉の側室という身分にも拘らず、大阪城の実質的支配者として君臨。
その高すぎるプライドと自己顕示欲から、天下をほぼ手中に収めた徳川家康との和睦を断固拒否。戦国最大の戦い「大坂の陣」を引き起こし、遂には自ら豊臣家を滅亡へと導いた。
【No.14】
小早川秀秋(戦国時代)
「戦慄の裏切りティーンエイジャー」。元々は秀吉の養子であったにも拘らず、関ヶ原の戦いの裏で両軍と通じ、合戦後の褒美を天秤にかけていた19歳。
西軍に身を置くがどっちつかずの態度を取り続け、業を煮やした家康軍に鉄砲で威嚇されると、世紀の寝返りを見せ東軍の勝利を決定づけた。以来、裏切りの代名詞となっている。
【No.15】
吉良上野介(江戸時代)
「江戸最大の憎まれ役」。主君・浅野内匠頭の仇を討つべく赤穂浪士47士が討ち入りを果たす、「忠臣蔵」の敵役。浅野内匠頭が江戸城内での刃傷に及んだ真相はいまだに謎。
しかし江戸市中でもっぱら噂されるのは、幕府の礼法指南役を務める吉良が浅野にワイロを要求。 浅野が渡した物が鰹節2本と気持ちばかりのお礼だったのをきっかけに、吉良が嫌がらせのオンパレードを始めたというもの。 間違った料理を教え、異なる作法を教え、「この田舎侍が!」と浅野を罵って恥をかかせたという。
47士が討ち入り帰りに早くも江戸庶民から英雄扱いされた一方で、吉良には「世紀の悪役」というレッテルが貼られ続けることになった。
【No.16】
徳川綱吉(江戸時代)
「お犬様LOVEの暴走将軍」。江戸幕府5代将軍・綱吉は、動物愛護の「生類憐みの令」を制定。内容はみるみるエスカレートし、130回以上に渡る細かな指示を出した。
例え野犬に襲われても、抵抗したら人間が処罰されるという行きすぎた内容になっていった。更に、江戸郊外の中野に29万坪の犬小屋を建て、10万匹もの犬を収容、莫大な経費を江戸市民に負担させた。
そして、犬だけでなく、猫や馬・鳥・魚、果ては蚊に至るまで、少しの違反で死罪や流罪を言い渡される者が続出し、江戸の町は大混乱。
綱吉は、動物の命を大切にするあまり人間の命を軽く扱う結果になってしまった、まさに暴走将軍であった。ちなみに、綱吉の死後10日で「生類憐みの令」は廃止された。
>>25
動物愛護団体かよ
>>25
個人的に綱吉大好きだわ。この人がいたから徳川15代続いた気がする
【No.17】
田沼意次(江戸時代)
「ミスター袖の下」。江戸後期に実権を握った老中。幕府の財政再建の為、それまでの倹約路線を改め、新貨幣の鋳造や貿易の奨励など積極的な経済政策を執って商人を優遇。
一方で多額のワイロを受け取ったとも言われ、後世、ワイロ政治の代名詞的存在となった。
近衛そんなに悪いか?
権力握れてなかった、手遅れだったんじゃね
ルーズベルトたちがアジアについて無知なことに怯えてたし
>>27
まあ根は悪い人じゃなかったのかもしれんが、政治は結果で評価されるものだし。 しかも東条と違ってヘタレだし。
【No.18】
井伊直弼(江戸時代)
「問答無用の弾圧政治家」。ペリーの黒船来航以来、国内情勢は不安定化。幕府トップの大老であった直弼は、朝廷の許可なく独断で開国を断行した。
若手学者たちのヒーロー・吉田松陰を筆頭に、自分の方針に反発した者達を徹底的に粛清し、次々と処罰。その数100人以上、「安政の大獄」と呼ばれる恐怖の弾圧政治を行った。
しかし、江戸城に向かう途中、桜田門前で何者かに襲撃され(桜田門外の変)、誹謗の最後を遂げた。この暗殺を機に時代は、倒幕・明治維新へと突き進む。
開国に賛成だったのかは疑問が残り、国の事を考えて個人の意見とは逆方向に舵を執ったという所に無念さを感じるという見解だった。
>>28
井伊直弼は有能だぞ
【No.19】
近衛文麿(昭和時代)
大日本帝国末期の総理大臣。日中戦争を泥沼化させ、太平洋戦争につなげた元凶。血統およびルックスだけで持ち上げられた人物。
打たれ弱く、難局に遭遇するとすぐに投げ出す、公家特有の悪い癖がある(孫の細川護熙にも遺伝している)。また、東京裁判直前で自殺し、東条英機や広田弘毅に余計な罪を擦り付けた。
たしかに実際に戦争を指導したのは東条なのだが、少なくとも開戦に関しては近衛のほうが遥かに責任重大である。しかも東条は自分の責任を潔く認めたのに対し、近衛は最期まで自己保身を徹底していた。
【No.20】
鳩山一郎(昭和時代)
大日本帝国の政治家。および、戦後日本の総理大臣。保守合同の立役者であるため、首相としての評価は高い。
しかし戦前の政党政治家としては最低の人間。統帥権干犯問題を起こし軍部を暴走させた元凶。また、銃撃された浜口雄幸首相を無理やり国会に引っ張り出し寿命を縮めた、外道中の外道。
孫の鳩山由紀夫がカスなのも個人的には最悪。
これってマシな順かワースト順か
>>37
年代順
綱吉はそんなに悪くないだろ 戦国からの自力救済の風潮を弱めたんだし
>>40
まあ、あの法律のおかげで弱い者いじめが減ったと再評価する人もいるな。
八百屋お七
結果からいえば田中角栄と小沢一郎はゴミ以下の何かだな
>>50
角栄は確かに汚職やったけど、根は良い奴だろ
>>57
角栄はそもそも裸一貫から成り上がってきた異例のタイプの政治家だからアメリカとか政治家一族からの圧力で消されたんだぞ 汚職やってない大物政治家なんていないぞ
悪人って言われると違和感のあるメンツもいるなぁ
>>52
まあたしかに光秀に関しては実は信長のほうが悪かったという説もあるな
あと、小早川は徳川にとっては英雄
悪役であって悪人でないわけだな 濡れ衣含めそういう評価を受けたという
だから逆に昭和が入っていないと
>>53
昭和は今回、近衛と鳩山祖父だけにさせてもらった
あくまで1から見た悪人 って注釈しとかないと ※個人的見解です。 って
>>58
せやな
小磯スレ
>>62
小磯国昭はそもそも戦況がかなり悪化した状況で急に首相に就任したから、どうしようもなかったと思う。
維新の名を借りた
薩長のテロリストどもが入ってないのは残念
俺が入ってないぞ
>>67
無名乙
そいや足利尊氏は?
いや近衛よりも板垣征四郎だろ
戦前の総理にどれだけの権限があると思ってんだ
>>78
たしかに戦前の首相ってそんなに権限無かったしな あと、近衛より鳩山孫とか菅直人とかのほうが能力値自体は低いし
河野、村山、仙谷
人道に対する罪
永遠に歴史に刻まれるだろう
>>111
村山富市は自分の思想のために無駄に人殺しちゃったからな 選択を誤ったとかではなく助けられるべき人を見殺しにしたんだからな
>>117
でもその後の復興対策に関しては村山は菅よりマシだった 村山は震災よりむしろ談話を非難されるべき
>>121
いや何に対してマシなのよ、無能ゆえの対策の遅れと 助けられるべき人を自分の思想で助けないなんてのがどう関係あるのよ
>>136
村山は時間帯(早朝)も悪かったし、あの頃は法整備が未熟だったので、救出が遅れたのは仕方ない部分もある。 多分、伊藤博文や吉田茂といった名宰相でも難しかったと思う。
それに、村山は自分の無力さを理解して専門家に投げただけ、自分を有能だと勘違いした菅よりはマシ。
>>143
だから政治家としての能力とかそんな話じゃないだろ こいつの信念のせいで死ななくてもいい人が死んだこといってんだよ 最近こいつが平和だなんだと口にすること事態イライラするわ
後白河天皇もわりと悪役のイメージ
軍部大臣現役武官制を止められなかった時点で 戦前の議会政治はアウト 軍部に主導権を握られてしまった。
>>99
マスコミに踊らされて戦争突入を支持した一般国民も同罪だけどな 日本人全員が反省すべき
中大兄「うちの母ちゃんの浪費癖にも困ったもんだよ」
鎌足「クーデターでも起こします?」
中大兄「でも母ちゃんとは戦えないよ…」
鎌足「んじゃ、大臣の蘇我入鹿に責任取らせましょう」
中大兄「それだ!!」
卑弥呼、信長が無いとは 凄いメンツなんだな
あまり知られてないけど、大隈重信も総理大臣としては近衛や鳩山孫と並んで最低の部類だと思う。
調子乗ってWW1に参戦し対華21か条要求を発表、対外関係を著しく悪化させた。 勿論、大学創設者としては尊敬しますが。
いくらか前に歴代総理のランキング書いた人?
>>169
YES。ちなみにランク表はこんな感じ。
S+ 伊藤博文
S 吉田茂
A+ 桂太郎 原敬 池田勇人
A 山県有朋 鈴木貫太郎 岸信介
B+ 加藤友三郎 加藤高明 佐藤栄作
B 西園寺公望 山本権兵衛 高橋是清 大平正芳 小渕恵三 安倍晋三(暫定)
C+ 松方正義 浜口雄幸 田中角栄 福田赳夫 中曽根康弘 竹下登
C 黒田清隆 田中義一 幣原喜重郎 芦田均 石橋湛山 橋本龍太郎 小泉純一郎
D 斎藤実 岡田啓介 若槻礼次郎 犬養毅 東久邇宮稔彦王 鳩山一郎 麻生太郎
D- 寺内正毅 清浦奎吾 米内光政 片山哲 三木武夫 森喜朗 野田佳彦
E 広田弘毅 平沼騏一郎 阿部信行 鈴木善幸 海部俊樹 宮沢喜一 細川護熙 福田康夫
E- 林銑十郎 小磯国昭 宇野宗佑 羽田孜 村山富市
F 大隈重信 鳩山由紀夫 菅直人
F- 東条英機
G 近衛文麿
【目安】
S 国史に長く刻まれるべき名宰相
A 歴史的偉業を果たした宰相
B 責任を十分果たした総理
C 功績も弊害も大きかった総理
D 良くも悪くも目立たなかった総理
E 評価点が全くない総理
F 国家に甚大な害をもたらした総理
G 世界規模の損害をもたらした総理
>>172
ありがとう
こういうの面白いからいろいろお願いします
>>175
どういたしまして
岩倉具視も悪いイメージがあるなぁ 特に何をやったっていうのは知らないんだけど
>>171
ぶっちゃけ俺も公家には良い印象がない
逆に悪役にはあまりされないけど悪人といえそうなの
細川忠興
>>176
ほう
>>178
細川家の当主にして文武に秀で茶道にも通じた名将 明智光秀の娘を妻にしながら本能寺の変では光秀に通じることなく織田家への忠義を貫いた
ほらこれだけ見れば悪役に書かれる理由が全くないし実際書かれることも少ない ただ性格はヤバめ。もしかしたら苛烈な性格で知られる信長の方がよっぽど優しいかも
やっぱ板垣征四郎、大島浩、東條英機、山本五十六、米内光政は 改めて考え直さないといけない
>>187
たしかに五十六と米内は創作で過大評価されてるかもな
東京裁判で起訴された被告人で 海軍関係者だったのは永野修身、嶋田繁太郎、岡敬純だけだしな 少なすぎるだろ
特攻作戦認可してあれだけ米軍苦しめたはずなのに 一切不問に問われて全ての責任を大西に押し付けたクズ米内はひどすぎる
おまえら何気に歴史にくわしいのな
山県有朋ってなんでそんな評価高いんだ?あいつ他の総理大臣邪魔しまくったりしてたろ
>>218
富国強兵に尽力したから まあ、藩閥政治が嫌われるけど
1940年に三国同盟締結して報復措置として アメリカから通商条約を破棄されて、金融制裁として在米資産凍結された
これによって貿易が出来なくなり、翌年から日米交渉が始まるわけだが このとき、駐米日本大使として全権交渉したのも野村吉三郎で海軍関係者
そしてこの間、陸軍が仏領南印に進駐させて、だまし討ちとして米から石油禁輸措置で報復された
これで日米決戦止むなしとして9月にまとめられた国策遂行要領の原案となったのも 海軍省第一国防委員会が作っていた対米決戦計画要領
これなのに海軍善玉論が戦後通則となってるのはなんでなんだぜ?
>>220
陸軍がもっとイカレてるから
>>221
天皇に諮問されて 海軍がいややっぱりアメリカとの戦争は分が悪すぎるとはっきり明示しとけば 天皇の聖断によって皇族内閣が成立していた可能性もあった
また、アメリカ側も国務長官が強硬に詰めて来る中で グルー駐日大使は直接外務省経由で首脳会談実現に奔走してた
少なくとも海軍は自称親米を叫んでたわけだからやはりその責任は大きい 米軍を最も苦しめたのも海軍なわけだしな
この2chスレまとめへの反応
歴史を表面でしか語れない人間のせいで どんどん日本が間違った方向に進むんだろうな 蘇我や平家が悪とかな
なんというかww
今時ココまで無思慮に「俗情との結託」をしたラインナップというのも珍しいなw
ところで牟田口さんちの廉也くんが入ってないのはどういう事かね?アーン?
※1
実証史学的な視点からみるとナンジャコリャー!な話だが
「巷間のイメージ」でいえば近年に入るまではまさにこの通りだったわけでw
「間違った方向に進む」のではなく、「いままで間違いっぱなし」だったというのが正しいのだw
義姫とか、善悪の判断はともかく吉良とか小物すぎて「日本史の悪役」じゃないだろう
頼朝は悪役じゃなくね
そもそも最初に兄弟殺そうとしたのは義経だべ
義経の人望がゼロだったから朝廷と義経の檄文に応える武士が皆無で、
逆に反逆者として義経を殺せと頼朝は板挟みになった
源平合戦の間も兄貴をタテにして現場でKY発言しまくったり陣容入れ替えして自分にだけ手柄タテさせるようにしたり、その他の武士が義経についていかなかったのは自業自得だ
※4
小物どころか着物や食事でいやがらせをする話の全部が
当時の風習や文化からかけ離れた嘘八百
伝わっている歴史なんて、古くなればなるほど机上の空論みたいなもんだろ。
本当にどうだったかとか、いつか本当に解る日が来るのか。
それを知るのは当然として、知った後この人間社会はどうなるのかね。
歴史状況を無視して容易に現在の価値基準や倫理感で歴史を語るのは滑稽極まりない。
キャラ付けは興味の取っ掛かりとしては効果的だが
元々関心がなかった奴は妄信するから後々害が大きい
読む側の質が大きく問われる