深夜だし善悪について話そう
おまえら好きに書いてけ
善悪とは人間の作った概念であり、この世にそもそも善悪というものは存在しえない
>>3
そやろか
善は難しいから悪から考えよう
町中でゴミをポイ捨てしている中高生がいるとしてそれは悪かどうか
>>6
社会としては悪なのであって、その行為そのものが悪とは言えないんじゃない?
>>9
確かに人間が社会性を持たない猿だった頃ならそうだけどじゃあ社会的な規範や道徳心を持つはずの人間がそれをやっていた場合、それは悪かどうか?って話なんや
>>12
だから、その社会で悪い事だと決めてある事だから、社会内では悪でいいんじゃない?
その行為が絶対的に悪かとなると悪じゃないけど
>>3
善悪とは人間の作った概念であり、この世にそもそも善悪というものは存在しえない
これだろ そして逮捕されたり嫌われるからしかたなくそれに従うしかない
>>18
そうなると
ゴミのポイ捨てに対して嫌悪感を抱く人は何を思ってそれを嫌悪するのかが説明できなくなるで
みんながみんな、法に縛られてるから悪い行為をしないのではなく本当に善し悪しを自分の基準で考える人もいるんや
逆にその「自分の基準」がガバガバで、ポイ捨てなんて何にも悪い事だと思わない人もいるんやで
この場合の善し悪しはどう判断すればいいんや?
>>25
何で嫌悪感を抱くのか→そのルールがその人の行動規範となっているから。良し悪しの判断基準がそのルールだから、そこから外れる行為を悪とみなす
法律やモラルを守る事が善とされようが法律やモラルが国によってバラバラである限り結局>>3が真理なんや
人間以外が作った概念てあるのか?
善人も違う立場からは悪人
善悪より好悪が適切な表現だと思うわ
概念は存在しないのか?
存在するとはどういうことなのか?
>>11
我思う故に我ありやで
善も悪も人の感性で変わる、どんなに善行だと思っても周りが悪行と認識したら悪になる、このオープンの様に
>>15
そんなにガバガバな社会だったら貧しい国の大統領の名言やら、マザーテレサとかは評価されなかったはずやで みんなも何かしら、これは許せない、これは許せるって物があると思うんや
>>20
そのこれは許せる許せないだって、絶対そうだとは言えないでしょう 食人族だって彼等の社会的なルールで食人してるのに、私たちが食人許せない!と言ったって共感しないだろうし
>>23
それは確かにその通り
文化の違いで社会性なんて物はいくらでも変動するしね
だけどここは食人族なんていない日本だしわいらのルールって物が人それぞれになって多様化しすぎたせいで善悪の基準が曖昧になってる気がするんや
>>29
日本に絞って考えるなら日本の法(法律・道徳等の不文律こみ)で善悪決めていいと思う。それを守らない=社会悪でしょう
>>30
わいもそう考えて結論付けようとしたで
じゃあいじめはどうや?
あれは法律に触れなくても人を傷つける立派な悪の行為や
もちろん大人なら、「名誉毀損だー」やら「パワハラだ」と抗議できるが
子供だとそうはいかん 戦えない、戦い方を知らない そんな子供はどうしたらええんや?
明らかな悪に対して、法を逃れる悪に対して、「法で縛られていないからセーフ」というのはどうなんや?と思うんや
>>33
まず、いじめそのものは日本では悪(傷害罪その他)
で、子供が訴えるか否かは、いじめが悪かどうかとは関係ないだろう(いじめ=悪じゃないから訴えないってわけじゃないし)
>>33
横からだが、もし虐めが虐めではなくてその子も容認しての物だとする、でも周りの大人や親、友達は虐めと思いそれを止め訴えたりしたとする、その結果その子たちの関係が崩れたときその子たちから見て周りの親大人がやったこたは果たして善行と言えるか
>>35
それは単純に現状を把握していない親が悪いと思うで
善い行いは善い行いだとしても、おせっかいに転じたらそれは相手の事を理解、想像していない行為に値すると思うんや
つまり厳密に言えば誰かの為の行為であるために、それが善行であったとしても、「何か行動を起す前に考えを巡らせていない」悪い行為にも当たるとわいは思うんや
ただ誰もそれを責めたりはできないデリケートなゾーンでもあるから、実際にそういった現場に遭遇して、わいが悪だと思っていてもわいはなんにも言わんで
>>33
自分と違うものを迫害する行為が正義とされる事も多々あるやろ
いじめなんてそれの規模の小さいバージョンや
>>20
そんなにガバガバな社会だったら貧しい国の大統領の名言やら、マザーテレサとかは評価されなかったはずやで みんなも何かしら、これは許せない、これは許せるって物があると思うんや
だからそれが感性によるってこと
例えば車ではねられた人がいるとしよう、骨は飛び出て内臓も破裂してる、後遺症は絶対残るしこれから地獄の様な日々を過ごすだろうと分かるとする
この人を助けるか?助けないか?
>>24
それも難しい問題やね
トロッコ問題とかいうのを思い出したわ
確かにそういう「助けるか助けないかの結果」がどちらも辛い場合は、わいらも善悪の基準に疑問を抱くはずや
もちろんわいもそれはわからん
だからこそ簡単な問題に着眼点を当ててみたいと考えたんや ゴミのポイ捨てなんていう、わかりやすい善悪の基準から
>>31
ゴミのポイ捨で考えるならそれも状況によるだろう、ただポイ捨てするだけなら悪と言って良いと思う、少なくてもそこに善があるわけでは無いから、ただ例えばポイ捨てしなければならない状況ってのがあった時に考えなきゃいけないと思う
>>32
すまんがイマイチ捨てざるを得ない状況というのが浮かばない
万が一の可能性で、そういった状況が現れたとしたら、それは悪なのか善なのかというのは、わいはグレーゾーンだと思うで
こんな曖昧に答えるのは申し訳ないが
>>36
俺も思いつかなかった
それは良いとして、そのグレーゾーンが人の感性で決まるって思うわけよ
黒と白は誰が見ても黒と白だけどグレーを黒と言うか白というかは人それぞれってこと
>>39
難しい問題やもんな
確かに39の言う通りグレーを白と黒かという人は千差万別やと思うで
じゃあ話をちょいと変えて聞いてみたいんやが黒を見て白という人に出会ったら、あなたはどうする?
>>44
今までの話の総まとめをするけどそういう状況になった時1番重要なのは何処に視点を置くかだと思う
前の事故の話ならはねられた人
ポイ捨てならポイ捨てされた状況
虐めなら虐められてる子
つまり独りよがりの善悪に善悪は存在しないってこと
もしその人にとって黒が白でありその人の為ならば俺は例え黒だと思っても黒の行動を取るよ
>>47
どこに視点を置くかによって善悪が変わるって事?
わいは変わったとしても、倫理的に正しい方を選びたいと思うで 確かに厳密に言えば、善悪は人それぞれの基準であって その人それぞれの視点になってみないとわからない事も多々あると思うんや
じゃあもっとわかりやすい問題から書こうか
>>52
違う違う、善悪とは人のためになければいけないってこと、善行するから幸せなのでは無く幸せな方だから善行であるべきだと思うのよ
>>55
その善悪を決める根拠は?となると、やはりルールに行き着くだろう
>>57
それが感性になるってわけよ、ルールとは大多数の人の感性(人を殺すのがダメとか盗みがダメとか)を表してるだけであってルールから感性は産んではいけないと思うのよ
>>59
その感性を育むために必要なのがルールだろう
何が(その社会内で)良いか悪いかを知らなければ、良し悪しを判断できる感性は育たない
>>60
では仮に人を殺しても良いというルールがあったらそう言う感性でも良いとなるか?という事、事実戦争を行う国では殺す感性が生まれてると思う、だがそれは俺たちにとって悪なだけでは無いか?
>>62
戦争を行う国は戦闘下で敵を殺す事を是としているだけで、殺人そのものを善としているわけではないだろう?
>>66
しかし悪では無い、殺人と言うよりは殺さない事が悪って言ったほうが良いかも知れないが要はそう言う事、そんなところに行ったら人を躊躇無く殺せるか?
>>67
なぜ躊躇無く殺せないろ思う?それは殺人を悪とした社会で育ち、悪ゆえに日常的な経験もなく、悪ゆえに拒否反応を示すからだよ
詰まる所、環境(ルールのよって作られた)から形成された人格のせい
>>73
ではなぜそのルールがある所で殺人が起こるのか、という訳よ
>>74
簡単だろ。人間が死ぬ存在で、かつ殺す奴(ルール違反者)がいるからだ
>>75
だろ?そのルール違反者はなぜルールを破れる、それは自分の感性だから、だろう?
>>77
ルールを守るか否かは個人の感性だとして、それが社会的に善か悪か、その個人にとって善か悪かとはまた別の話だろう
>>80
社会的な善悪は大多数の人、つまりルールによって、個人的な善悪は個人の感性によって極端な話復讐における殺人は善なのか悪なのかみたいなね
>>82
その善なのか悪なのかが、判断する物差し(ルール)のよって変わる相対的なもので、絶対的な善悪は存在しないって話だろ
>>84
「大多数が間違っている」と判断する奴が間違っている場合かー
難しい問題なら、俺もわからないで
こないだ話題になった 赤ん坊のヒトラーをころすかころさないかの件みたいに、ころす派が多いっていう事もあってそれが問題化してるみたいな、そういうのは俺もわからん、決めかねる問題やからな
ただ、わかりやすい例をとるとするなら、いじめを黙認する奴ら(大多数)に対して先生に告発した生徒は、間違った多数に立ち向かう正しい少数やと思うんや
俺はそういう倫理的に「明らか」に正しい少数は、悪だと断定しないって言いたかったんや
>>87
虐めの問題でその告発した子達が大多数に潰され悪になり不幸になるか、それともその善が大多数の人を変えられるか、そこも善悪の重要な点だろう
>>89
多数に弾圧されたくないという損得勘定から来る行為に善なんてあるんやろか
わいは自分がいじめられたくないからって何も言わずに迎合するそれは、幸せであっても悪だと思うで
>>92
「そう思うんならそうなんだろうな、お前の中では」って話だな
>>92
違う違う、1番重要なのはその弾圧され悪にされた善は果たして悪で済ませて良いのかって事
>>95
それは各々が自分の価値観で考えたらいいんじゃない?
>>97
まぁそうなんだけどね
>>55
違う違う、善悪とは人のためになければいけないってこと、善行するから幸せなのでは無く幸せな方だから善行であるべきだと思うのよ
じゃあ「他者を侵害する行為が幸せ」な人のする行為は、その人にとって善行ってことなんか?
間違ってたら教えてくれ
>>63
そう、その人にとって善行であるだけであってその侵害されてる側から見たらただの悪行であるのさ、そして大多数の人もそれは悪行だと思うから悪になる訳
>>64
結局言いたい事は同じじゃない?善悪は絶対的なもので無く、ただその者(あるいは集団)の認識によってのみ決定されるって事だろう?
>>68
そう、ただし集団が悪だと言っても善だと言うパターンもあるよって事、自分が悪だと思っても相手にとっては善だと、またはその逆もあるんだよって事
>>64
そう、その人にとって善行であるだけであってその侵害されてる側から見たらただの悪行であるのさ、そして大多数の人もそれは悪行だと思うから悪になる訳
大多数を支持する人間みたいであんまり言いたくはないんやけど大多数の人の基準が正しければ、少数の人の「善行に当たる行為」は悪と断定してもいいと思うんや
思想の弾圧と言われればそれまでやけど明らかに自分の利益しか考えない、モラルの壊滅的な人が好き勝手やるよか、それを多数の観点から悪と断定してもええんやないか?と思うんや
>>69
俺の最初のレス通りでしょ?
>>72
似てるがちょっと違うと思うんや
多数が間違っている社会もある
多数が正しい社会もある
多数が正しければ、少数は悪と断定してもいい 多数が間違っていれば、それこそディストピアに立ち向かうヒーローのように、少数だとしてもそれ自体に正しさがあると思うんや
なんだか何を言ってるかわからんと思うが他にわかりやすい例を用意するからまっててくれや
>>79
多数が正しいと思うディストピアってなんだ?多数が正しいと思えるならユートピアじゃない?
>>81
あれ、多数が間違っている社会=ディストピアって書かなかった?俺間違えてる?
>>83
その大多数が間違っていると判断する奴の基準が間違っている可能性は?
>>44
難しい問題やもんな
確かに39の言う通りグレーを白と黒かという人は千差万別やと思うで
じゃあ話をちょいと変えて聞いてみたいんやが黒を見て白という人に出会ったら、あなたはどうする?
自分に危害が及ぶ場合→物理的排除(攻撃等)または心理的排除(説得等)
自分に危害が及ばない場合でかつ社会的に問題がある場合→しかるべき場所へ通報または無視
自分に危害が及ばず、また社会的に問題がない場所→俺はこう思うけど、おまえは違うんだな、そっかーで済ます
善悪なんてないんやで自分が正しいと思ったらそれが善
そんでもって自分が悪いと思ったらそれが悪
周りから見られてどう思われるかわ別として
>>38
その通り。で、その「自分」の範囲を広げていったのが国だとかになる
俺が善
>>45
そんな事を本気で考えている奴が誰かを無意識で傷つけているんやで
>>46
間違いねえ
もちろん視点の話をしたって事は自分にも視点を置くってこと、要は見ず知らずの人に俺を殺してくれって言われても自分の視点で殺したく無いから殺さないって事
理屈では最大多数の最大利益なんだろうけどこれつきつめると少数派を切り捨て続けて一人しか残らなさそう
>>51
切り捨てられた側が多数(善悪の逆転)になるだけ
善や悪なんてわからないけど
動物に優しかったらすべて善
>>56
この手の人は蚊に弱い
もちろん同じ感性なら善行にはなるだろうが
郷に入れば郷に従え
住めば都
まぁ堂々めぐりにはなるけどなこの話は、双方から影響してるものに対して結論は出ない、鶏が先か卵が先かな訳だし
突き詰めれば突き詰めるほど視点が重要だろう?
とても繁栄してる国のスラム街の子達が国の反逆革命を起こしならばそれは善なのか悪なのか
>>85
細かく突き詰める必要なんて無い
全ての事象の善悪は、それを判断する者(または団体)の基準によって如何様にも変化するという結論があるだけだ
>>86
その結論に足したい事がある
1つはその善が幸せであるかどうか
2つにその悪は不幸になるべくしてなったのか
そして善と悪とは振りかざすものでは無いという事
>>88
変なの足さないでくれよ
幸不幸なんて、それこそ主観によるし、結局絶対的ではない 振りかざしていいかどうかなんて、周囲がどう受けるか次第だろ
善だったらどうするの?結局、ああ>>86なんだなーで終わるけど
細かく突き詰める必要なんて無い
全ての事象の善悪は、それを判断する者(または団体)の基準によって如何様にも変化するという結論があるだけだ
>>104
それで周りが悪だから貴方は告発しない?って事
>>105
いやいやいや、私がそういう場合どうしようと、それは私の中の善悪によった判断でしかないし、だからそれが絶対的な善悪にとはならないからね
>>106
いやそれも言ったやん、だから周りが悪だから悪では無いでしょって言ったの
>>108
だからそれを判断する基準はなにさ
>>109
個の感性
周りが悪だと言うから悪では無いだろうという事
>>99
いや、周りにとっては悪だろ
>>100
周りにとってはだろ?虐めの話で告発するのは周りにとっては悪だけど虐められてる子にとっては善だろ?
付け足しになるけど
個の感性と対象ってのも追加
虐めの話なら虐められてる子って事
自分語りになってしまうが聞いてくれや
わいの友達にDQNみたいな奴がいるんやけど
普段からワイがそれはアカンやろと思うことでも平気でやる奴なんや 高校時代にいじめをしていた経験を高らかに話し、街中で飯を食えば見かけた池沼やデブハゲを笑い話にする
ゴミのポイ捨てなんて日常茶飯事や 女のやり捨てもよくある奴や
地元の友達連中もドクズで、子供の学芸会を襲撃するようなモンキーやって聞いた時は戦慄したで
彼らの地元の友達もみんなそんな感じやから、あいつらのコミニュティの中では俺にとっての悪が完璧に善として許されとるんや
そんで大学の友達もみんなその破天荒で倫理的に考えたら極めて悪なエピソードで大爆笑しとるんや
もうわいはわからんで
ここにいる人が言った「各々が幸せだと感じる事がその人にとっての善」だというならあんな奴がいる事にわいは恐怖を感じるんや
お前らならどう答えるんや?
>>119
悪行上等、ビビったら負け
キリスト教の教皇様は偽善者か善人か知らないけどそうだろう。善悪自体は本能にあるんだから。本能だという事は論理ではないということでもあるけど
どう答えるってのが、何についてどう答える?なのかわからないけど、自分が不快な事する集団に必要もなく参加している意味がわからない。
デメリット込み込みでも更生させる(自分が良しと思う環境作りする)気持ちがないなら友達辞めたら?
>>120
どう答えるか?っていうのはどう思うかって事やで
あいつらみたいな奴が「普通の大学生」として存在しているのが恐ろしいと思わんか?周りも爆笑するのが本当に気持ち悪いんや
抜けられないのはわいが離れてもついてくるからやで ずっと口きいてなかったら電話かかってきてめんどくさいよって言ったら、家の前にきてドライブに連れてかれた時はビビったわ
そんなんやったら絶交突き付けてやれよって思うやろが、大学でやりづらくなるのは容易に想像できるからそんな上手く行かんのやで
>>123
恐ろしいというか、どの時代にだって無法者は居るしなぁ拒絶出来ない、抜けたくないなら、そいつらを変えるか、自身を変えるか、我慢して合わせるかだな
>>124
無法者だらけなのがすごいとこなんや
実際にやるのはそのDQN連中だとしても、それで笑う奴が大多数なんや みんな小学生の頃にいた、いじめられている子を笑う子供となんにも変わってない
もしかしたらみんな合わせてるのかもなー…なんて考えるんやけど、DQNがいない時でも平気でそういった不謹慎な話をするし、こいつらの善悪の基準はどうなってるんや?と思うんやで
ちなに学力は日東駒専以上だと答えておく
>>125
いや、気持ちはわかるが、それでどうするのさ
こいつらの善悪観はどうなってるんだー!と言ったって、そうなってるとしか言えないわ
>>127
確かにそうなんや
ただの愚痴になってしまったなすまん
まあでも、共感してくれる感性や善悪観を持っている人が見つけられたからわいは満足やで わいだけやないんやなって思いたくなかったんや
>>129
DQNがDQNと言われるのは、そうじゃない人が社会に多くいるからだしな
共感する人間の方がまだまだ多いと思うよ まあ、ガンバ
何かを善だと決めてしまうと そのほかが悪になってしまうのだよ
この2chスレまとめへの反応
人間にとって究極の悪は殺人だろ、社会的に宗教的には悪といって間違えないだろ。しかしだカマキリの共食いは悪ではなく自然の摂理に過ぎない。つまり、自然界では殺人すら弱肉強食という自然の摂理の一部でしかない。悪とは人の決めたものだよ。自分にとって都合の悪いものを悪というそれだけだよ。
いじめについてマジレスするなら、いじめが継続できてしまう一番の原因は責任を取れない言い分が被害に遭った人への補償をしないことを正当化させるからと考えてる。
子供だから、言葉の遣い方を間違えた、でも間違いは誰にでもあることだよね、「責められてもどう責任を取れと?これっていじめじゃね?」など、まぁどの口がほざくのか、被害者ぶる言い訳では負けなしとばかりに周りが冷めるまでごねる生き物が時代を経ても変わらず社会にのさばらせてるのが悪循環を生んでいる。
結論をいうと「いじめと認定されても悪くないと言い張れば許される」と自己解釈してる馬鹿者をどう無視して幸せになるかを考えるのが吉
小学生の時は正義の味方気取りでいじめの仲裁に入ったり、中高生になってもDQN連中には強気に当たってたな
自身の正当性を自覚しているつもりだったし今思うと善を自覚することが原動力だった気がする
>>79
>多数が間違っていれば、それこそディストピアに立ち向かうヒーローのように、少数だとしても>それ自体に正しさがあると思うんや
まさにこれに近くて一種のヒロイズムに酔ってただけとも言える
それは善なのか、と
「あるヨギの自叙伝」でも読んでみたらどうだろう