【朗報】歴代天皇が凄すぎると話題に
初代神武天皇 127歳
5代孝昭天皇 113歳
6代孝安天皇 137歳
7代孝霊天皇 128歳
8代孝元天皇 116歳
9代開化天皇 115歳
10代崇神天皇 120歳
11代垂仁天皇 139歳
12代景行天皇 143歳
13代成務天皇 107歳
15代応神天皇 111歳
16代仁徳天皇 143歳
以下、2chの反応
ファーwwwwwwwwwww
ファンタジーかな?
しかもこれたしか在位年数やから年齢はもっと行ってるやろ
さすが長寿大国日本やね
うーんこの歴史
かっこE
強そう
こんなん草生えるわ
143とかギネス越えてるやないかい やっぱ日本の天皇すげえええええええ
神武天皇のお父さんやお母さんは神様なんやけど すげー地味な神様やな
神武天皇
じんむてんのう、庚午年1月1日 (旧暦) – 神武天皇76年3月11日 (旧暦)
日本神話に登場する人物であり、古事記や日本書紀では日本の初代天皇であり皇統の祖としている。
古事記では137歳まで生存、日本書紀では127歳まで生存したとあるが、現在の歴史学では、考古学上の確証がないこと、またその神話的な筋書きから、神武天皇が実在した人物と認めていない。
神武天皇の即位月日とされる1月1日 (旧暦)は、明治に入り新暦に換算され2月11日となり、日本国の建国の日として1873年(明治6年)に「紀元節」(祭日)と定められた。紀元節は1948年(昭和23年)に廃止されたが、1967年(昭和42年)に2月11日は「建国記念の日」として国民の祝日となった。/ 以下wikiより
応神からは実在が確定してるんだよなあ
応神天皇
おうじんてんのう 仲哀天皇9年12月14日 – 応神天皇41年2月15日
第15代天皇(在位:応神天皇元年1月1日 – 同41年2月15日)。
井上光貞は、確実に実在が確かめられる最初の天皇としている。仁徳天皇の条と記載の重複・混乱が見られる。河内王朝の始祖と見なす説、日本国外の史料との相対比較から、『宋書』や『梁書』に見える倭の五王の讃に比定する説(ほかに仁徳天皇や履中天皇を比定する説もある)がある。
天皇系図 8~15代
天皇系図 15~26代
どの辺から確実に存在して血筋守られてるんやろか
>>19
確実にいえるのは天智天皇ぐらいからやろね 大家の改新の前は蘇我氏が大王だった説もあるし
天智天皇
てんちてんのう / てんじてんのう、推古34年(626年)- 天智天皇10年12月3日(672年1月7日)
第38代天皇(在位:天智天皇7年1月3日(668年2月20日) – 10年12月3日(672年1月7日))。一般には中大兄皇子(なかのおおえのおうじ / なかのおおえのみこ)として知られる。「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。
天皇系図38~50代
三笠宮崇仁親王
みかさのみや たかひとしんのう、1915年(大正4年)12月2日 – は、日本の皇族、歴史学者(専攻は古代オリエント史)、陸軍軍人(最終階級は陸軍少佐)。大正天皇と貞明皇后の第四皇子。今上天皇の叔父にあたる。
御称号は澄宮(すみのみや)。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。皇位継承順位第5位。勲等は大勲位。称号は東京芸術大学名誉客員教授。お印は若杉(わかすぎ)。
現在存命中の皇族の中では最年長者であり、「三笠長老」の敬称を奉られることもある。「三笠宮」の宮号は、1935年(昭和10年)12月2日に崇仁親王が成年式を行った際に賜ったもので、奈良市の三笠山にちなんで命名された。
継体天皇までは確実って聞いたけど
継体天皇とかいう福井県からやってきた天皇wwww
>>36
継体天皇って今で言う滋賀の生まれや無かったか?
継体天皇
けいたいてんのう、允恭天皇39年(450年?) – 継体天皇25年2月7日(531年3月10日?)は、日本の第26代天皇。
在位は継体天皇元年2月4日(507年3月3日?) – 同25年2月7日(531年3月10日?)。 戦後、現皇室は継体天皇を初代として樹立されたとする新王朝論が盛んになった。それ以前のヤマト王権との血縁関係については現在も議論が続いている。 別名として、『日本書紀』に彦太尊(ひこふとのみこと)とある。
『記紀』によると、先代の武烈天皇に後嗣がなかったため、越前(近江とも)から「応神天皇5世の孫」である継体が迎えられ、群臣の要請に従って即位したとされる。
『日本書紀』の系図一巻が失われたために正確な系譜が書けず、『上宮記』逸文によって辛うじて状況を知ることが出来るが、この特殊な即位事情を巡っては種々の議論や推測がある。
卑弥呼は100歳とは言わないけどかなり長生きみたいだな
半分にすると丁度いい云々
当時は太陰暦使ってたからやろ
昔の日本は今の半年で1歳カウントって答えでたろ
>>18
そう答え出たならとっとと公式に発表しろや 今まで間違ってました皇紀2700年は嘘ですって
>>26
年の数え方は誰も現代の暦とは言ってないんやで
春分~秋分
秋分~春分
それぞれを1年としてたんやで
春の耕しと秋の収穫で1年としてたって 春で1年、秋で1年ともとれるけど、四季じゃなくて二季でやってて適当に1年やってたって意味にもとれる
エジプトのファラオみたいに死後の世界での治世も含めてるんちゃうか
この2chスレまとめへの反応
オカルト的観点では古代に人間は超寿命だった説があるね
日本だけじゃなくてノアの箱舟のノアの一族も超寿命だったと言われてる
春分~秋分
秋分~春分
それぞれを1年としてた
これで考えても60歳以上かぁ
崩御後も混乱避けるためにしばらくは名前だけの期間もあったのかもしれない。
※1の視点も捨てきれないな。
一〇代崇神天皇の時、皇室はついに〈倭国=日本国〉の主人となった。皇室=大和朝廷の考え方は一風変わっていた。前代の王朝の非を鳴らして自らの正当性を主張するのではなく、自分の氏以外の〈倭王=日本国王〉など、これまでに存在しはしなかった、という考え方を展開し始めた。即ち、一方では前代の王家邪馬台国の情報を後に伝えることを禁止し、また一方では、倭王ではなかった九代開化天皇までの事績を廃棄し、これらの伝承も許さなかった。
皇室・朝廷にとって大事なことは、〈倭国=日本国〉は、これまで唯一皇室が統治してきたし、今後も唯一皇室が統治し続ける、という考え方を疑問の余地のないものとして普及徹底させる、ということであった。即ち“万世一系の天皇観”であるが、これが確かでさえあれば、個々の天皇が君子であろうが暴君であろうが、長い歴史の中ではどう伝えられても良いこと、と考えられた。従って、この万世一系の天皇観の下、記紀は天皇が実際に暴君であった場合、少しも隠すことなく、あからさまに描いている。