
日本の文学史上最高の一文と言われている文章
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった 夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 
 
 
 
 
 この文章のなにが凄いの……?
 
 
以下、2chの反応
厨二病の高校生でも書けそう
勝手に価値を付けたい人たちが素晴らしいとか言ってるだけ
ちなみに>>1の文章は川端康成の雪国って小説ね
>>9 
 だれでもわかってるであろう補足にワロタ
>>9 
 それは言わなくていいです^^
教科書作る奴が上げまくってるだけだろ 雪国は普通に名作
外人には最初の一文にものすごく混乱するんだそうで
>>1 
 英訳する時困るんだよな、これ
主語述語の関係になってない美しい文章だからだってどっかで聞いたことがある
これ英訳が名翻訳らしいな
The train came out of the long tunnel into the snow country. 
 
 ↑がエドワード・サイデンステッカーによる英訳 
 英語だと「抜ける」という表現が使えないし 「雪国」という一語が「snow country」という二語になる 
 やっぱ漢字って凄いなぁと思う
最初のシーンで窓ガラスに女の人たちが映るシーン詳細は覚えてないけどすごく描写力あって驚いた覚えがあるわ
国境の長いトンネルを抜けると ←句が長くてトンネル感がでてる 
 雪国であった ←長い句の次に唐突に現れる雪国という言葉でトンネルを抜けて風景が広がった感がある 
 夜の底が白くなった ←なんかすごい 
 信号所に記者が止まった やばい
>>15 
 わろた
>>15 
>>句が長くてトンネル感がでてる 長い句の次に唐突に現れる雪国という言葉でトンネルを抜けて風景が広がった感がある 
 いやそんな感じ微塵もねえよ
難しいことは知らんけどなんか情景が浮かぶじゃん?
情景が頭に浮かぶ時点ですごい
書き出しの一文で惹き付けられるのは凄いよな 我輩は猫であるとかメロスは激怒したとか 名作だと思わされてるからかもしれんが
難しい言葉で書かれた文章より鮮明に情景が浮かぶからじゃね?
短い文のなかで語り手の視点の置かれている場所、空間移動、情景の広がり、またそれに伴う情感まで表現されているのだから 史上最高かはともかく名文と言って差し支えない
やっぱ本物の作品は文頭をいつまでも覚えてるよ 意識して覚える気ないのに 
 村上だの東野だのなんて沢山読んだけど一個も文頭なんか思い出せないわ(笑)
村上春樹なんてまさに「少数派を潰す作家」だしな
主語が曖昧で海外受けしたからノーベル賞が取れてノーベル賞が取れたから評価された って捻くれた先生から聞いたけどどうなん?
>>35 
 その先生はおそらくvipper
川端の小説ってたいていつまんないし雪国もつまんないんだけど「雪」の語を濫用しないで「底が白くなった」だけで済ませる着想はやっぱ凄い 
 着想が凄いのに話がつまんないからある意味もっと凄い
権威があるから褒めてるだけじゃねぇの? 
 
 情感とか雰囲気とか凄い抽象的なことしか言ってないし
「や、め―――――――」 
  クラッシュする。 
 融ける壁。解ける意味。説ける自己。可変透過率の滑らかさ。乱交する時間。観測生命と実行機能。 
 小指のない手。頭のない目。走っていく絨毯。一 重。二重。三重。とんで七百七十七の檻。破裂する風船。 
 初めから納まらないという約束。 
 初めからあぶれだすという規則。初めから死ぬという契約。毒 と蜜。赤と胎盤。水銀灯と誘蛾灯。多重次元に屈折する光源観測 
 泳ぐ魚、深層神澱にて詠う螺子。 
 道 具、道具、道具。際限なく再現せず育成し幾星へ意義はなく意志はなく。叶うよりは楽。他の誰でもな いワタシ。漏れた深海。微視細菌より生じる矛盾。 
 俯瞰するクォーク。すべて否定。螺鈿細工をして無形、屍庫から発達してエンブリオ、そのありえざる 法則に呪いこそ祝いを。 
 
 
 凄い(驚愕)
>>45 
 すごい全く読む気にならない
雪国の冒頭って小学生でも知ってるけど 
 
 「結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている」 
 
 って一節を知ってる小学生はいない 
 知ってても子供には理解できない そして教科書にも載せられない
>>46 
 これ手マンした女を覚えてるってこと?
>>61 
 そういうことですな
お前等もなんか詩的な出だし書いてみろよ
>>51 
 俺ら凡人がやると確実にワザとらしくなっちゃうと思う
雪国はつまらない 
 ストーリー気にせず日本語の美しさを鑑賞する為の作品だと思うよ 
 
 面白くて日本語表現も美しい金閣寺の方が好き
絵画を見て誰かが素晴らしいとかなんとか言ってるのは「まあ俺には分からない世界があるんだろうなぁ」って思うけど 
 
 普段触れてるはずの「文章」で自分に理解できない情感がどうとか情景を想起させるとか言ってるのを見るとなんか気味が悪い
美はそれを見る人の心の中にあるだけなんだから そりゃ客観的なものなんてつくりようがないじゃん 
 とはいいつつもいろんな人がそれなりに作ろうとはしてるけどね
そもそも「文章が凄い客観的な理由」というのを見たことがない 文学科なるものがありながらどうして文才の定義の一つも作れないのか
>>53 
 だって文学研究って作家が住んでた家の家賃とか調べる学問だし
>>55 
 凄いな 
 最早ストーカーじゃねえか
>>60 
 近代文学研究は前提として作家の個人史を調べる それが作品のどんな部分に反映されてるかを立証するのが基本 
 例えば坊っちゃんなら、坊っちゃんも山嵐も赤シャツも坊っちゃんの下宿先もモデルがほぼ分かってる
僕の世界は狭い。 
 世界が僕を限定しているのか。 
 それとも僕が世界を限定しているのか。 
 その両方か。 
 僕は迷子だ。 
 世界的迷子だ。 
 そして一陣の風。 
 びひゅうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおう と強い風が吹いて。 
 
 
 凄い(失神中)
>>54 
 名前忘れたけどなんかのエロゲの体験版だよな 製品版は普通だったってやつ
汽車に乗っていて、トンネルの暗闇から一瞬で雪景色に切り替わって… そういう情景を巧みに表現しているってことなんじゃないの
単純な情景描写に夜の底が白くなったって文を挟んだのが凄い 
 
 それだけ
国境のトンネルを抜けて雪国に出る情景を一文で書きなさいって小学生100人に言ったら 一人くらい元ネタ知らずに同じようなの書いてきそうって思っちゃうんだけど 
 
 少なくとも最初の一行は絶対被りそう
>>63 
 絶対無理だぞ
>>63 
 その指示文だと奇跡的に言葉をこれほど削れる子がいたとしても 最後は「雪国に出た」と書いちゃいそう 
 それだと急に雪国に切り替わってその真っ只中にいる感じが出ない
凄いというか当時にしては斬新であったのだろう 
 今ではあたりまえだけど「簡潔に美しく」っていう書方を早くから意識していたひと それが最もわかりやすくあらわれているとされているのがこの一文というだけのこと
大衆小説だけど直木賞作品の「私の男」の 
 
 「私の男は盗んだ傘をゆっくり広げながら、こちらに歩いて来た」 
 
 の一文がベタ褒めされてた理由教えて
>>85 
 さっぱりわからんな 
盗んだ傘とかゆっくり広げながらとかに情感とやらがあるのかねぇ
>>85 
 その作品読んでないけどその文すげえな臨場感ある
>>85 
 なにがいいのかよくわからんけどたしかになんかいいな
>>85 
 これだけで二人の関係と男がダメ男ってのが分かるじゃない 読んだことないから違ったら知らね
結局読みは「くにざかい」と「こっきょう」どっちなんだよ まさかどっちか分からず最高と言われてるわけないよな?
>>89 
 コッキョウ
くにざかいだ!これが日本語の正しい読み方!言う奴もいたが 作者本人がこっきょうと読むのを否定してない(作者的にはこっきょうと読んでた?) 
 みたいな感じじゃなかったっけ 俺も語感重視でこっきょうだと思う
芥川龍之介なんかも国語の授業でクソつまらんかったけどクロサワ映画みたら面白かった 国語は一部しか切り取らないし文法とか作者の気持ちとかそんなのばっかりやるから作品自体の面白さを損なうよね
個人的には「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。」の一節が一番好きです 
 なぜだか頭から離れない
俺が唯一良いなぁと「感」じた文章は 
 
 人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。 
 だな 
 友達は誰も共感してくれないが
>>106 
 人間失格の文章?
>>112 
 そだよ
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
「木曽路はすべて山の中である」
どこで差が付いたのか、慢心環境の違い
>>81 
 姪とやったかやってないかの違いじゃない?
文学って分からない奴には分からなくていい、みたいなスタンスだから 美しいとされてる文学を理解できない作家は基本、文学として認められないよね 
 
 文学は個人の心の中にあるとかなんと言っても結局は多数派に潰される芸術なのね
川端がどうってならみずうみを読めばいいよ 元国語の教師だかが主人公だけどデカダンすぎて終わってるからあれ 短編の片腕もいいな
雪国は冒頭が有名だけど、逆に最後の一文もなかなかすごいよ











 
         

この2chスレまとめへの反応
夜の底が白くなるって言葉だろう
名作といわれる昔の文章はただ情報を伝えるだけの道具ではないということだろう
単語の使い方、語順、改行の加減ひとつで緊迫感が出たりスピード感が出たりする
ただ、それを分かってて書いた人の文章を分かってる人が読まないと伝わらない
(書いてあるとおりの意味じゃん。だから?みたいになる)
ナナメ読みとか朗読動画の倍速視聴で内容を把握する世になると名作の文章はどこが優れているか理解されず、肩身が狭くなるんじゃないかな
こういうものは評価した時代も考えないといけない
当時の人間が心を動かされたものを後の人が見ると、ありふれたものでしかない
イントロのそれよりアウトロ
終わり方が良いです。余韻を残す
映画のシナリオとしたらスゴイ時代を先取りしたドラマと思う
汽車に乗って雪国に行ったことがない人
汽車に乗ったことしかない人
雪国を歩いたことしかない人
冬のさなかに雪国を汽車で訪れたことがある人
それら全員が同じ光景を思い浮かべる
だから名文と呼ばれる
実に素晴らしい文章だと思うが、昔は小説なんて一部の文才のある先生様が書く高尚な物だと思われていたから、その分の補正は入っていると思う。
今はなろうみたいにネットで誰もが書いて投稿出来る様になったから小説に対しての垣根が低くなった。そんな今のネット小説でも0.何パーセントくらいは素晴らしい作品もあるんだよね。
普段全然本を読まないんだけど何か気が向いて川端作品を読みたくなって本屋で冒頭だけ読んで
「本好きの人が本を読むと映像が頭に浮かぶ」ってのはこういう事か!って思ったわ
映画の中に入ったみたいだった
その後の汽車から降りる描写が思い浮かべられず読めなかったけどw読書って経験も大事だな
雪国は諦めて短いから伊豆の踊子買って読んだ
やってみれば分かるけど、文章でその場を正確に表現し、それを読者の脳内で同じように再現させるのって難しい
名文っていうのはそれができる
文字数を使っていないのに頭の中で人が勝手に映像を切り替えていく力があるんだよ
>国境の←なんとなく荒野の検問所みたいなのを想像する
>長いトンネル←と思ったらトンネルが出てきたので暗いなかのライトを想像する
>を抜けると雪国であった←と思ったら一面雪が積もってる場面になる
>夜の底が白くなった←なんとなく昼間だったのに夜になる
トンネルを抜けるとそこは雪国であった
名前はまだない
争えば足らぬわければ余る